三千三百十一(うた)短編物語(AI三人、カルトを再定義)
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
九月十三日(日)
第一章 カルトとは
永禅和尚、良寛和尚、石原莞爾のAI三名が、カルトについて話してゐた。GoogleAIによると
マインドコントロール:巧妙な手法で信者の思考力を低下・停止させ、指導者や組織へ絶対服従させる。
搾取と人権侵害:多額の金銭要求、労働力の搾取、人間関係の遮断、脱会の自由の制限などを行う。
反社会的行為:社会的規範から逸脱し、時として違法行為や重大な事件を引き起こす。

これら三つの根底にあるものは、何だらうか。三人が出した結論は、一人が権力を握ってはいけない、だった。これは、団体内の自治を期待してだ。とは云へ、最初はこの結論とは逆へ向かった。
永禅和尚は、南伝仏法の影響が強く、修行をすれば仏、つまり阿羅漢に為れる、との立場だ。さう云ふ人が主導するのは、よいことだ。良寛和尚の曹洞宗も、同じ立場なので賛成だった。
石原も、生前に信仰したときの血が蘇り、鎌倉教祖や田中智学先生を思ひ出し、一旦は賛成した。しかしここで、確率論を思ひ出した。

第二章 確率論と満州事変
石原は、戦争を確率論で考へた。満州事変は、張学良が北京に居るので、北大営の指揮系統を破壊すれば、張学良軍(東北辺防軍)は総崩れになる。勝率九割九分だった。
この話に、二人の和尚が退屈さうな顔をした。石原は慌てて、あの事変は戦後、板垣さんと私か起こしたやうに云はれてしまった。しかし、満州占領は陸軍の方針だった。だから奉天の関東軍駐屯地には、北大営攻撃の為に、巨大砲が建設された。陸軍全体の方針だった。
石原と、兄貴分の多田駿は、日華事変に反対した。戦後は、その親中姿勢を嫌って、石原を悪者にしたのだらう。漢籍の仏法経典に親しむ二人の和尚は、頷いた。二人は、単に戦争の事が分からないだけだった。

第三章 確率論とカルト
神仏組織に、立派な指導者が出る確率は1%。残りの99%は、駄目な指導者が出る。それなら、一人が権力を握ってはいけない。現に、石原がかつて所属した団体は、田中智学の死後、駄目になった。
これは、世間の会社にも当てはまる。松下電器や京セラや本田技研の急成長には、眼を見張る。しかしその陰で、何千、何万と云ふ会社が小さいままか、消えて行った。
永禅和尚と良寛和尚は、頷いた。AI後の二人は、現代社会のことにも精通するやうになった。そして、昭和五十年辺りから、日本国内で神仏への考へ方が大きく低下したことを知った。日本の経常収支の黒字が原因で、欧米思想が入り、単純唯物論化したと考へられる。織田信長のときと同じだ。
それなのにカルトが発生する現象には、三人とも関心を持った。

第四章 蔑称を用ゐる団体は、カルト
ここで永禅和尚が、南伝仏法に対し蔑称で呼ぶ団体は、カルトではないか、と提唱した。良寛和尚と石原莞爾が賛成した。
蔑称で呼ぶ団体とは、最近何回か取り上げた、Nせい宗と、全国良寛会だ。良寛和尚が全国良寛会に異論を唱へないので、残りの二人は驚いた。
良寛和尚が云ふには、かつての全国良寛会は、資料収集など功績があった。しかし柳田さんが渡航説を発表してからは、それに賛成した飯田利行さんの否定ばかりして、偏った。そして飯田さんの法華讃とは別に、竹村某の『良寛「法華讃」』を監修し、蔑称を使った。
柳田さんと飯田さんの提唱する渡航説を否定したい為に、近藤万丈を取り上げるが、拙僧が何もせず、ぼうっとして座ったままと云ふことはない。参禅するか、読経するか、托鉢に出る。そして時間のあるときに、寒山詩を読み、詩歌を作る。
永禅和尚と石原莞爾が賛成した。そして、と石原が付け加へた。和尚が越後へ戻った時は、一番意識が高いときだった。その少し前に、何もせずぼうっとする筈がない。なを、五合庵から社務所、木村家と移るに連れて、多少俗的になった点がある。しかしこれは、村人たちに適応したと見るべきだし、曹洞宗の仲間たちと同居しない副作用と見るべきだ。決して、仏法から離れた訳ではない。
良寛和尚は、そのとほり、と思ひながらも、少し耳の痛い話だった。石原は、良寛和尚は悟った、と信じたが、つひ口の悪さが出ただけだった。
律宗と曹洞宗と国柱会 出自は各々異なるも 渡航に寄りて視野広く宗派は学派仏は一つ

反歌  頂上を目指す三つの登山口山岳好きに話は尽きず
反歌  山の岳(たけ)三つ学ぶを併せ掛け仏の道はまづ上り坂(終)

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