三千二百四十一(朗詠のうた)短編物語(AI三人、僧侶の神通力を語る)
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
六月二十四日(水)
第一部 インドのヒンズー教と、日本の明治以降の仏法
日本の明治維新後の仏法は、インドのヒンズー教と半分似る。永禅和尚が、さう説明した。ヒンズー教は、儀式を行ひ信徒から謝礼を受け取る祭司と、世俗を捨てて瞑想と苦行を行ふ修行者がゐる。祭司は世襲で、最上位カーストであるバラモンの家系だ。
それに対し修行者は、カーストとは無関係で、世襲ではない。無職で、自給自足もせず、専ら信徒の寄付で生活をする。バラモン階級は、六千万人ゐるが、企業や公務員など、近代職業に就く人がほとんどだ。兼業または専業で、百万人程度が寺院で祭司を勤め、それ以上の人数が、兼業で上流家系の祭司を勤める。
信徒は、修行者に少額の寄進を頻繁に行ふとともに、司祭へは人生の儀式のときなので小数回に多額の寄進をする。日本の明治以降の仏法に当てはめると、インドの祭司のみ存在して、修行者がゐない。このやうに、永禅和尚が解説をした。
第二部 江戸時代までの日本
石原莞爾が、江戸時代までは、永禅和尚や良寛和尚のやうに、修行者の僧侶もゐましたね、と二人を持ち上げた。否、と良寛和尚が答へた。江戸時代も、住持にならうとする人たちばかりで、修行者を目指す僧侶は、極めて僅かだった。良寛和尚が、寂しさうに云った。
江戸時代に始まった、寺請け制度と、本寺末寺組織の固定化は、既得権者を作るだけで、修行者を激減させてしまった。本来は、切支丹対策なのだから、切支丹がゐなくなったら廃止すべきなのに、しなかった。徳川幕府の重大な落ち度でせう。三人の一致した意見だった。
第三部 妻帯僧に、神通力は無い
江戸時代までの清僧は神通力を持つが、明治以降の妻帯者には神通力が無い。永禅和尚が、さう云った。律宗は、真言宗と関係が深く、神通力にも詳しかった。
良寛和尚の曹洞宗は、永平寺第三世徹通義介の時に、祈祷を積極的に取り入れた。後に徹通義介は、永平寺を出て行く破目になり、それが大乗寺から総持寺の流れになった。とは云へ、永平寺も正月三が日と、月一回は、祈祷を行ふ。
石原莞爾が、妻帯僧に神通力が無くなった代はりに、信徒が止観や読経をするやうになり、個々の功徳に移った、と述べた。二人の和尚は江戸時代を生きたので、石原の意見はよく分からなかった。とは云へ、二人は、信徒から熱願されない限り、祈祷をすることは無かった。信徒も、そのことを知ってゐたので、祈祷を依頼しなかったが。
第四部 中途半端が一番悪い
国柱会のやうに、妻帯僧抜きの信徒団体として活動する事は、明治維新以降の推奨すべき方法だった。しかし、と二和尚が続ける。明治政府が、妻帯を認めなければ更によかった。と同時に、明治政府は妻帯してもよいと云っただけなので、各宗派が清僧を続ければよかったのに、なぜ妻帯を始めたのか。二和尚の宗派批判は、手厳しかった。
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昔から続くことには訳がある それを思はず変へるとき 大きな戦国を滅ぼす
反歌
負け戦神風吹かずその訳は仏の教へ壊すに縁るか
反歌
負け戦恐ろしきかなやそ年の後に世の中壊れ始める(終)
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