三百十八、横山大観記念館
平成24年
十一月十五日(木)「日本画と西洋画」
私は絵画や彫刻を見る目がまつたくない。五〇年近くさう思つてゐた。ところが三年ほど前だらうか、どこだつたか忘れたが都内の或るデパートで日本画の展示即売会がありふらつと寄つてみた。名前は忘れたが或る巨匠の作品はすばらしい。若手の日本画家の作品は値段が安いだけあつて魅力は感じなかつた。私の感覚と表示された値札の価格が完全に比例してゐた。
もしかすると絵画や彫刻を見る目がないのではなく、西洋のものを押し付けるから嫌ひになるのではないか。さう考へてゐたときたまたま横山大観記念館の前を通つた。入梅や真夏は閉館するので行く機会のないまま一年近く経過をしたが、先日つひに訪問した。
十一月十七日(土)「聖徳記念絵画館」
この感覚は今から5年ほど前にもあつた。明治神宮外苑の聖徳記念絵画館を訪れたときである。明治天皇の御誕生から維新後まもなくまでが40枚の日本画に、その後の憲法発布、日清、日露、御大葬までが40枚の洋画に描かれてゐる。
このときは昔から続く天皇様から仏教や唐風な要素を廃し、西洋の国王を模倣した天皇陛下になつてしまつたことに目を奪はれ、日本画と洋画の違ひは二の次となつてしまつた。
十一月十八日(日)「木造の住居」
横山大観の住居は戦災で焼けた。伊豆山に疎開ののち今の家は昭和二九年に建てられ晩年の四年間を過ごした。日本でも有数の画家だから応接間と庭は立派だが、建物全体は質素である。昭和二九年と現在の経済の差が原因だが、この差が日本の社会と心を破壊してしまつた。
家屋を見るだけでも価値がある。日本の家屋の特色は畳、中庭、縁側、床の間である。
十一月二十一日(水)「不忍通り」
住居は不忍通りに面してゐる。かつてはトロリーバスが走つてゐた。だから車の往来は多い。しかし住居に入ると車の騒音はまつたく聞こえない。向ひが不忍池なので建物がない。音が反響しないためかも知れない。
十一月二十二日(木)「西洋の押し付けが学校嫌ひを作る」
私は絵画や彫刻が嫌ひだがその理由は西洋の押し付け、或いは伝統との乖離にあることが判つた。国内には学校嫌ひが多い。その理由も学校の授業が西洋式なためではないのか。
教室は畳の部屋にして昔の寺小屋みたいに机を並べる。床の間に日本画か古文、漢文の掛け軸を掛ける。これだけで学校嫌ひの生徒は半減する。(完)
余談として横山大観記念館で見た印象は、数年前に都内のデパートで見た日本画の印象とはやや異なつてゐた。もちろん西洋画や西洋の彫刻を見たときのような違和感はない。しかしこの異なりは大観の絵は岡倉天心の流れで西洋画に対抗できるよう西洋画の要素を取り入れたためかも知れない。或いはデパートでは西洋画と日本画を区分けして展示販売してゐた。聖徳記念絵画館では江戸時代から明治初期までは日本画、それ以降は西洋画と分かれてゐた。どちらも西洋画と比べて日本画に親しみを感じたが、大観記念館は日本画だけだからかも知れない。
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