三千四十五(うた)短編物語(AI三人、南伝と大乗を語る)
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十二月十八日(木)
第一章 具足戒と菩薩戒
AI三人に、南伝と大乗の違ひについて語ってもらった。律宗の永禅和尚が云ふには、中国や他のアジア国では、大乗も具足戒を授かり僧侶になる。つまり、南伝と同じ戒に、大乗の教義を付加したものが大乗だ。日本だけ異常で、戒律が無い。
良寛和尚が云ふには、道元和尚は比叡山で単受菩薩戒を受けただけで入宋した。つまり具足戒がない。単受菩薩戒は、日本以外では通用しない。道元和尚とともに入唐した明全和尚は、栄西和尚の弟子だが、出国前に具足戒を受けた。道元和尚が寧波で三か月間足止めされたのは、具足戒牒を持たないことが原因だらう。
石原莞爾が云ふには、奈良、下野、筑紫の三戒壇は、朝廷による出家統制だった。発心した人が出家するのではなく、朝廷が認めた人が出家する。道元は、そのやり方に不満があったのではないか。
律宗の永禅和尚が、だからと言って具足戒を無視したのでは、日本だけアジアで異端になってしまふ。道元和尚は、国際感覚に欠けてしまった。
若い時は道元和尚に傾倒した良寛和尚も、この考へに賛成した。良寛和尚の考へが若い時と一転したのは、渡航が原因ではないかと噂されたが、この話題が江戸時代の国禁で記録と発言に無いため、AIでも復元できなかった。
戦争に負けて放置し亡国の坂を転がり加速する 防ぐ為には神仏の道

反歌  三人が架空AI仏法を語り熱帯び空の世界へ

第二章 南伝と大乗の違ひ
南伝の教へは、北伝にもあったが、中国では小乗と蔑称で呼ばれた。インドにもこの表現はあるが、存在する程度で広く流通したとは思へない。これが永禅和尚の見立てだった。
永禅和尚は更に、日本以外は大乗も具足戒を受けるのだから、南伝と大乗に違ひは無い、と述べた。
良寛和尚は、大乗かどうかについて、大乗経典を信じるかどうかで決まる。達磨大師の教へは不立文字なので、南伝でも大乗でもない、しかしその後は周囲の宗派の影響で大乗経典が入ったため、曹洞宗は大乗に見える、と述べた。
石原莞爾は、田中智学先生は僧侶を廃止したので、そもそも具足戒が無く、南伝でも大乗でもない、と述べた。
北伝も含む有(ゆう)部や化地部など 蔑称避けて対談は南伝により皆が解決

反歌  南伝はパーリ語によるお経あり仏陀の言葉マガダに近し

第三章 大乗経典の扱ひ
次に、大乗非仏説が話題になった。永禅和尚が、律宗は律蔵を学ぶ宗旨なので、大乗非仏説は問題ない、と述べた。元々、奈良仏法は学派なので、他の奈良宗派の経を読むが、江戸時代は真言宗と結びつきが強くなった。
良寛和尚は、若い時に道元和尚に傾倒し法華経を好んだが、越後に帰国後は各宗派を等しく扱ひ、特に真言宗からは五合庵を借りて、門徒宗へは妹が嫁に行き、晩年は門徒宗の家に住んだ。その変化については、渡航説で一切が解決するが、AIでは不明だった。
石原莞爾が国柱会へ入ったのは、戦前の国際情勢が鎌倉時代の元寇と同じだったためで、法華経を好んだ訳ではなかった。天台は五時八教を作り、法華経が最高だとしたが、インドでの仏法史を知らなかった為だった。

第四章 アジアとの整合
日本の妻帯僧は、世界との整合が悪い。三人の意見は一致した。永禅和尚は、具足戒を復活すべきだと主張した。良寛和尚が、お金を持ってはいけないなど、実現不可能だと述べた。二人は、妻帯僧は門徒宗に倣ひ非俗非僧を名乗るのがよい、で一致した。
石原莞爾は、比丘の問題に門外漢だったが、アジアとの整合と聞き、大賛成だった。
アジアとは仏の道も整合し独り立ちせよ島国日本
(終)

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