三千四十九(うた)短編物語(石原、戊辰戦争の参謀に)
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十二月二十一日(金)
第一章 良寛和尚の願ひ
良寛和尚のAIは、日本史を学ぶと、幕末に長岡と会津が延焼したことを知った。それだけではない。昭和二十年には全国が焦土になったことを知った。これを何とかできないだらうかと、石原莞爾のAIに相談した。そして石原は、長岡藩の参謀になった。
薩長は幕府大政奉還後 慢心私欲多くあり 象山松陰海舟ら先人たちの心はいづこ

反歌  斉彬孝明天皇急死にはお毒見超える西洋医学
討幕軍と奥羽越列藩同盟軍は、長岡の南で対峙した。敵もAIなので、明治維新後を知る。そこで、奇兵隊が使ひ捨てになり、反乱したものは処刑されたことを宣伝した。前原一誠が萩の乱を起こしたことも、西郷隆盛が鹿児島で反乱を起こしたことも、大いに広めた。
これで討幕軍は統制が取れなくなり、山縣狂介、時山直八が戦死した。

第二章 京都全滅
逃走した討幕軍は京都で、薩摩長州の上層部と、三条実美、岩倉具視を殺害し、そのまま出身各藩へ帰郷した。奥羽越列藩同盟は、まづ江戸を確保した。江戸に謹慎中だった慶喜と、恭順派の一部旧幕臣は、対戦派を嫌って京都へ逃走した。そして尾張、紀州を巻き込んで、新幕府軍を形成した。
奥羽越列藩同盟軍と、新幕府軍は、浜松の辺りで対峙した。ここで石原は、西郷隆盛と手紙のやり取りで、新幕府軍を背後から攻めてもらふことにした。
京都を薩摩軍に占領され、新幕府軍はばらばらになった。

第三章 維新後
維新後は、幕府の旧習を抜け出せない江戸を離れて、京都に政府を設けた。それでは奥羽越が遠方になるため、長岡県の県庁を長岡にするとともに、表日本公方を設けた。日本海側が表、太平洋側が裏、との発想だった。公方とは云へ、将軍がゐる訳ではない。日本海側を包括する役所の名称である。
同じく、陸奥県を南陸奥、北陸奥に分けるとともに、南陸奥の県庁を会津にして、奥州蝦夷公方を設けた。暫くして、薩摩にも九州琉球公方、を設置した。
後に、京都、長岡、南陸奥は、県から府になった。大坂と江戸は、県のままだった。三つの公方は、唐土、朝鮮、露西亜、シャム、米領フィリピン、仏領越南との貿易振興に役立った。世界大恐慌のときに、アメリカとの貿易が少なくてよかった、と皆が安堵した。フィリピンと越南は、米仏の植民地だったが、本国から遠いために、日本の輸出は時間稼ぎができた。
世の中が大変化後に安定しまたは変化し大不況あり 戦争起きる
(終)

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