三百五、山口次郎氏は税金の無駄だから北海道大教授から解職せよ(その三)
平成24年
9月30日(日)「山口二郎氏のコラム」
山口氏で一番悪質なのは前に紹介した「さよなら小沢一郎」といふコラムである。「小沢という政治家の役割はこれで終わりだと思う」と述べ、その理由は「野田首相は最大の敵ではない。政権交代を起こした民主党にとっては、依然として自民党が最大の敵である」。しかし国民の多くは野田のペテン師消費税増税に激怒してゐる。山口氏は消費税増税賛成である。ここからして国民の立場ではない。
東京新聞九月二十三日に「開き直るしかない」といふコラムが載つた。山口氏は「原発をゼロにするか維持するかとの選択をめぐり、野田政権が民意と経済界の圧力の間で揺れたことである。結論は多くの人が批判するような二股膏薬だった」「しかし、市民のデモや世論調査の数字が政権に大きな影響を与えたのも確かである。経済界寄りだったのを二股膏薬まで持って行ったことは民意の成果である。」と書いた。
10月1日(月)「民主党は最初から経済界寄りだつたか」
自民党の長期一党独裁に終止符を打ち、鳩山政権が誕生した。しかしマスコミと官僚の悪質な工作により、菅政権、野田政権に変はつた。総選挙を経ずに国民寄りが経済界寄りに変はる。しかもその結果、自民党、民主党いづれも経済界寄りになつた。戦前と変はらなくなつた。山口氏はまづここを指摘すべきではないのか。
10月2日(火)「連合は労働組合ではない」
「経団連会長の脅しを怖がってはならない」といふが、野田は連合の圧力を恐がつてゐる。連合は労働者のごく一部、それも大企業のユニオンシヨツプといふ世界でも日本だけの奇妙な仕組みに支へられてゐる。昭和五十年辺りまでは総評も同盟も毎年ストライキを行ひ労使が対決したから労働組合の役割を果たした。しかし労使が対決をせず、下請け労働者や非正規労働者の犠牲の上に自分たちだけいい思ひをして、民主党に圧力を掛けて自分たちに有利な消費税増税をごり押しする。連合は労働組合ではない。労働組合が癌細胞化したものである。早く除去しないと日本が滅びる。
10月3日(水)「自民党は保守ではない」
かつて社会党、共産党、民社党を革新勢力と呼び、自民党を保守と呼んだ。(民主)社会主義を目指す革新に対し、現状を維持しようとするから保守である。しかし今は革新がなくなつたから保守といふ用語は不適切である。
山口氏は30日の「復元力」といふコラムで「野党の気楽さも手伝って、総裁選に立候補した若旦那たちは、外に向って威勢の良さを競う絶叫コンテストを続けていた。しかし、これでは保守政党の看板が泣くというものであろう。」
自民党は保守政党ではない。社会党の左右統一に危機感をいだき自由党と民主党が合同しただけである。
10月6日(土)「『保守の神髄』に見られる山口氏の駄論」
次の文章を読んだとき、山口氏は本当に頭が悪いとつくづく思つた。
「保守の神髄は、人間の感情や思い込みが過激に走ることに対して、疑ひの目を向け、熱を冷ますところにある。極端から中庸に復元する力が保守の真骨頂である。」
山口氏の主張するものは穏健派乃至は良識派のことだ。世の中には急進派と穏健派がある。これは手段から見た分類である。
別の次元から守旧派と改革派に分けることもできる。これは既得権派と非既得権派の争ひである。今の政治はまさに既得権派と非既得権派の争ひである。官僚、日米利権派、東京電力労組の支持を受けたシロアリ民主党が自分たちに有利な消費税増税を行つた。だから同じく既得権派の山口氏が、消費税増税に賛成のくせに市民派のふりをするから奇妙な主張になる。
更に別の次元から進歩派と保守派に分けることができる。進歩派は産業と政治の発展が続き、進歩は正義だとする主張である。これに反対するものが保守派である。
10月7日(日)「保守思想はなぜ重要か」
進歩の行き着く先が地球温暖化であり、原発の事故である。進歩は新たな不確定要因を生む。だから進歩自体は正義でも不正義でもない。進歩を正義だと勘違ひすると大変なことになる。それを批判するのが保守である。だからこれ以降進歩を変化と呼ぶことにする。
世の中が変化し過ぎると、人心が不安定になる。だから世の中を変化させるときは人心への影響を考へてすべきだ。明治維新以降の変化は欧米の猿真似がほとんどである。最近では消費税増税がよい例である。欧米に消費税があるからと言つてこれを日本に導入してはいけない。だからシロアリ民主党に同調した自民党は保守ではない。
10月15日(月)「ナシヨナリストと反中と拝米」
山口氏は「今はナショナリストに対して、水をかける必要がある。自民党の指導者が一緒になって排外熱を煽ってどうするのだ。柄にもなく、保守の不在を心配したくなる」といふが、日本で騒いでゐるのはナシヨナリストではなく反中である。反中のほとんどは拝米と重なる。
反中拝米はマスコミの責任だ。アメリカの不祥事は誤魔化し、中国のことは100倍に拡大して報道する。アメリカの高官が言つた、アメリカの大使が言つた、アメリカの学者が言つた。さういふことも大々的に報道する。日本は敗戦により六十七年間洗脳状態にある。まづこのことに国民は気付かくべきだ。中国で英語に次いで二番目に人気のある言語は日本語である。かういふことは日本の拝米マスコミの読売、朝日と、小型朝日の毎日その他は報道しない。
山口氏はかういふことこそ気が付くべきなのに気付かない。頭が悪いのか、二年間フルブライト奨学生として洗脳されたのが原因なのか。
10月16日(火)「二種のナシヨナリズム」
山口氏は一口にナシヨナリストといふが、ナシヨナリズムにも国益ナシヨナリズムと西洋化反対ナシヨナリズムがある。
経済バブルがはじける前までは国粋ナショナリズムもあつたが、(1)不景気による自信喪失、(2)その前のプラザ合意による円高で海外旅行などによる国内文化の破壊、の二つにより国粋ナショナリズムは消滅した。しかし半分西洋化した日本が西洋の視線で中国や韓国を侮る態度が出てきた。かつての国粋ナショナリズムは今の国益ナショナリズムに変化した。
もう一つの西洋化反対ナショナリズムは正しい。西洋化を進めれば人心が不安定になるからだ。日本のことは西洋の猿真似やアメリカの圧力ではなく日本が決める。これが西洋化反対ナショナリズムであり、よく考へれば当り前の主張である。当り前のことさへ実行できないのがシロアリ民主党とシロアリ自民党である。
10月17日(水)「丸山真男」
山口氏が「悪さ加減」といふ10月七日のコラムで次のように主張した。
丸山真男という政治学者は、いわゆる戦後の革新派、左派で崇拝されてきたはずである。しかし丸山の現実政治への係わり方に関する主張は、革新勢力にはまったく浸透していない。
私も四年前に丸山真男を特集したことがある(「94、いまだに丸山真男を信奉する者は現代の軍国主義者である」へ)。丸山真男は革新派でも左派でもない。アメリカかぶれである。
革新、左派は昭和二十年から昭和六〇年代までは反米である。丸山とは正反対である。そんなことは少なくとも昭和六〇年代までは誰でも知ってゐた。
10月20日(土)「二つの拝米」
左派の反米には世代の相違がある。浅沼稲次郎から佐々木更三あたりまでは占領軍が国内に駐留するといふその異常事態に反発したものであつた。また根底には脱亜入米に対するアジア回帰の心があつた。国民派といつてもよい。だから浅沼も佐々木も親アジアであり親中であつた。
その次の世代はマツカーサーの洗脳に騙されて反日がだんだん強くなる。もちろん反日ではない人もゐた。訪中して毛沢東から「日本民族は優秀な民族である」と言はれてそれを掲げる団体もあつた。言ふほうも言ふほうだが、それをありがたく掲げるのもいかがなものかと思つた。私は別に日本民族が優秀だとは思はない。すべての民族に優れた点と弱点がある。しかし各民族とも西洋の猿真似をしてはいけない。毛沢東を擁護すれば、日本は優秀だから共産主義革命が達成できると述べたもので特定の民族を誉めたわけではなかつた。
この世代の左派は、米ソ対立があり、特にインドシナ戦争の真最中だから反米ではあるが、地球上で進歩した社会が欧米、更に進歩した社会が共産主義と考へた。だからソ連崩壊ののちは拝欧米、特に拝米に陥つた。
毛沢東の文化大革命の失敗あたりから日本の左派は崩壊を始め、ソ連崩壊とともに完結した。山口氏はまづ日本の左派が崩壊した事実に気付くべきだ。それなのに崩壊前と崩壊後、更には世代間の相違を考へない山口氏は頭が悪すぎる。
10月26日(金)「ベストと悪さは別次元」
丸山は、実際の政治においてベストはあり得ず、政治における選択は常に悪さ加減の選択だと述べている。また、ベストを求める態度は、ヒーローを待望する気分につながり、それは常に幻滅に帰結するだけだとも言っている。
丸山特集を四年前に組んで感じたことがある。何でこんな俗物学者を崇める連中がゐるのか。丸山の生きた時代は戦前戦中戦後だから全体を読めばまだ理解はできる。山口氏は昭和33年の生まれで丸山とは生きた時代が異なる。なぜ相違を考へぬ。
民間企業では当たり前の話だが、ベストは求めるべきだ。悪さは同義的に許されるか許されないかで扱ひが異なる。許されない悪さは絶対にあつてはならない。許される悪さを欠陥とする。ベストをa、欠陥をbとすると求めるべきはz=ax-byである。zが最大になるxとyに該当する政党である。
ところが山口氏はz=-byが最大になるyを求めやうとする。
10月27日(土)「何が悪いかをごまかす山口氏」
本紙の愛読者の中には、民主党も自民党も同じようにひどいと怒っている方も多いだろう。そんな市民には、ベストを求めず、悪さ加減で見分けてくださいと私は言ってきたつもりである。
山口氏のやり方は減点法で、それでは民間企業は駄目なことは昨日述べた。しかし山口氏の主張はそれよりはるか低レベルの話である。国民はなぜ民主党と自民党に怒つてゐるのか判つてゐない。国民は消費税増税のペテンに怒つてゐるのだ。山口氏の低レベルの思考方法で言へば、民主党の悪さ加減と自民党の悪さ加減に怒つてゐるのだ。どちらも悪さ加減の度合が同じである。だから第三極に人気が集まる。
10月30日(火)「敗戦直後と今は違ふ」
敗戦直後と今は事情がまつたく異なる。当時の日本は旧習が残りすぎて、丸山がもつと西洋化を進めるべきだと考へたのも無理はない。私だつて昭和64年あたりまではさう考へてゐた。しかしその直前のプラザ合意で日本は日本ではなくなつた。当時アメリカが企てたことを或るところから聞いたのを今でも憶へてゐる。日本人で海外旅行や留学する人が増へて日本の慣習は急速に壊れるだらうと。それを聞いて当時の私は早くさうなればいいなと思つたものだつた。
まさか本当に日本文化が次々と壊れるとは思つても見なかつた。そして弱者が犠牲になる醜い世の中が現れた。慣習を破壊すると弱者が犠牲になる。その理由はこれまで再三述べてきた。
敗戦直後と今の違いを考慮せず、プラザ合意も考慮せず、慣習を破壊すると弱者にしわ寄せが行く理由も考へず丸山を賞賛する。山口氏には困つたものである。まつたく社会の役に立たない。(完)
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