三千二十二(朗詠のうた)在家の止観目的(藏本龍介さんの動画は、期待外れだった)
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十二月三日(水)
在家が止観をする目的は、二つある。
一、仕事や生活がうまく行くやうに、精神を整へる
二、瞑想の各段階で上位を目指す
小生は一だ。これまで書いて来た、安定化が必要な人は止を、活性化が必要な人は観を、の根拠はここにあった。一が終はった人が二を目目指す、とする考へ方も出来る。この場合は、二の方が一より高度に見える。
しかし、安定化や活性化がそれほど必要の無い人は、一だとのれんの空押しになるので、二に進む、と考へることができる。丁度、登り坂ではそのまま走れば筋肉の強化に役立つが、平坦な道では重りを装着しないと筋肉の強化に役立たないやうなものだ。
一方で二に進むべき人が、一の心地良さに安住してしまふ心配がある。さう云ふ人は、早く二に進むべきだ。いろいろな瞑想法を渡り歩く人は、一を経ずに二を目指すから、方法に迷ふ。まづ一で、自己の状態を見つけるのがよい。
肝向かふ心を静め活かすには 足らざる側を補ふか中程の人技へと進む
反歌
止まる観る仕事と家を穏やかに過ごす為にと仏の道を
今回の内容はこれだけけだが1.9KBのため、在家が止観をする理由を考察した。
一、世の中が複雑化し、止観を求める人が多くなった
二、釈尊を敬愛し、読経、礼拝のほかに、止観も希望するやうになった
三、止観をすることで、功徳を積む
小生が南伝仏法と出会ったのは1994年で、此の頃はまだ在家の止観がそれほど広まってはゐなかった。とは云へ、ミャンマーで当時首相のウーヌーが瞑想センターを作ったのは1947年で、マハーシサヤドーを招聘した。タイのタンマガーイは1970年に設立された。今では、次が加はった。
四、在家の止観が、普通になった。
小生は、一、三、四だ。二が抜けるのは、釈尊と同じ止観は無理なので、礼拝で代行する。
日本人参拝者の興味は、次のどれだらうか。
一、仏法
二、瞑想
三、ミャンマー文化
小生は一と三だ。三は、文化人類学である。「ミャンマー、文化」で検索すると、藏本龍介さんの東大テレビ「ミャンマー仏教の世界・仏と共に生きる人々」が出て来た。早速観たが、ミャンマーで調査した、一時出家し師匠から一日十時間教はった、と云ふ割には完全に期待外れだった。-
一時出家した寺が森の中にあると言ったが、周辺の民家はどのくらいあったのか。燈明祭りの写真を写したが、行事が出家者と信者に与へる影響は。
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大乗仏法と上座部仏法の違ひを述べたが、大乗は、日本と、中韓越蒙で、持戒が異なる。日本でも、奈良仏法と、比叡山と、鎌倉仏法は、異なる。
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上座部仏法が阿羅漢を目指すことに、一部批判があり、大乗は菩薩と云ふが、一部とはどこで、どのやうになのか。
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他の国では、僧院の敷地内にパゴダがあるが、ミャンマーは別。それは昔からさうなのか、途中から他の国と異なるやうになったのか。
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1950年から瞑想センターが出来た話をしたが、従来の僧院の付属施設なのか、独立したものなのか。
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小児を一時出世させる行事では着飾るが、釈迦は王族出身のためと説明したが、親子ともに功徳を積む晴れ舞台のためではないのか。王族出身を後付けの理由と考へる理由は、釈尊は王族を捨てて、両親の嘆きを背に出家したからだ。
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出家者の存在意義は在家者の信を育むと述べたが、出家者にお布施することで功徳を積む機会を与へることではないのか。福水やお守りの糸など、直接の現世利益もある。
以上各項目が、まったく不十分だった。文化人類学の立場からは、在家者へのお布施は、功徳を積む為か、社会の規範なのか。これは両方だが、日本のやうに南伝仏法への社会規範が無い(日本にあるのは、七五三など神社へと、葬式年忌など寺院への規範だけだ)日本と、どう違ふかを調べるべきだ。今回の動画は、南伝仏法の初心者向け書物に書かれた内容ばかりで、わざわざミャンマーまで出張し調査したにしては、まったくの不充分だった。(終)
追記十二月四日(木)
藏本さんに対して、最も本質の問題点を忘れてゐた。それは-
仏法の修行は、科学を超越したものである。心理学上かう云ふ修行をすればかういふ効果がある、と説明できるものではない。近代の言葉で云へば超能力、昔の表現で云へば神通力、である。藏本さんは、そのことを信じないで調査をしたり一時出家をするから、不十分な解しか得られない。藏本さん自身は信じなくても、信じる人の心理はどうなのかを考へなくてはいけない。
「初期仏法を尋ねる」(百九十五)
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