千四百五十三 藏本龍介さんの東大テレビ「ミャンマー仏教の世界 仏とともに生きる人々」を批判
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
八月四日(木)
藏本龍介さんが、東大テレビと云ふものがあるらしくこれに出演し「ミャンマー仏教の世界 仏とともに生きる人々」を講演した。その内容がYouTubeにも公開されたので見たところ、次の理由で批判しなくてはいけないと思った。
  1. 藏本さんは一時出家したが、出家は本人の修行のため、或いは功徳を本人や縁者などに積むためである。研究目的に、更に云へば博士号とかを取る目的で出家してはいけない。
  2. この程度の内容は、これまで日本で出版された書籍に載ってゐる。本心を隠したまま出家をしてまで調査する必要はない。
  3. 上座は2500年間に広がりを持つ。広がりの幅や、広がりの中で代表する見解を調査することなく、師匠はかう言ったとするものが多い。師匠の意見は比丘だから正しいが、それが中央値かをきちんと調べるべきだ。
  4. 特に、托鉢について比丘がお礼を云はないのは執着を断つためだとするが、それは上記3の比丘間の一つの意見であり、上座を代表する意見ではない。
  5. 戒律は、受戒式などに用ゐられるやうに戒と略すこともある。律と略すこともある。以上なら問題はないが、戒と律を違ふ意味に使ふなら、その前に説明しないといけない。
まづ1だが、日本の大乗宗派で出家しようとすれば、莫大なお布施を請求される。ミャンマーでは、我が子の晴れ舞台なのでお金を掛けて着飾ったり村人に振る舞ふことはあるが、それはお寺とは無縁で、お寺へのお布施は無料だ。もちろん我が子のためお寺に食事や衣などの寄進をするが、それは任意だ。それなのに、日本人が邪な目的(例、博士号や著書)のため、安直にミャンマーなどで出家することは許し難い。
ミャンマーの師匠は一日十時間も教へてくださった。それなのに講演からは、感謝の気持ちやミャンマーの仏道が素晴らしいと云ふ内容が伝はらない。伝はるのは(本人はさうは想はなくても)聴く人にとり、日本とは違ふ習慣の後進国だ。
今から二十年くらい前に、タイで出家し帰国後は新宿職安通りで托鉢をした「おもろい坊主」こと故チンナワンソ比丘の瞑想会が、ラオスで出家した日本人比丘のお寺(見たところ新しく立派な個人宅)であった。チンナワンソ比丘のために、後援者たちが上座部仏教協会と云ふ団体まで作る熱の入れ方だった。チンナワンソ比丘が云ふには僧X系の新興宗教団体で内紛があり、その僧侶がラオスで出家したとのことだった。
本堂は、釈迦仏の後方に十界曼荼羅がちらっと見えた。限りなく立派で新築民家に近いお寺にも驚いたが、ホームページを見ると、日本人がラオスで出家するには八十万円(金額は不確実)などと書いてある。これには不信感を持った。
だからその比丘が板橋のミャンマー寺院に来られたときは、戒律をきちんと守っておられるのだと安堵したが、暫くして姿を消したから、やはり物珍しいことをネタに商売だったのではと心配になった。

それくらい上座の出家は高額のお布施とは無縁だ。(とは云へ永久に出家しないのなら、経費分以上にきちんとお布施すべきだ)
次に2は、この程度の内容なら既に過去に出版されてゐる。目新しいのは回向の話くらいだが、これは3で指摘した、比丘間の意見の広がりだ。
4で信徒の寄進に比丘が礼を云はないのは、釈尊の時代からの習慣だからだ。釈尊の時代に礼を云はない理由は、儀式(或いは修行)だからだ。とは云へ、昨年ミャンマー人比丘が我々日本人も在日ミャンマー人に混じって列を作り、托鉢鉢に食事を入れると、何人かの比丘のうち一人は「ありがと」と我々に云った。在日ミャンマー人に対しミャンマー語でもお礼を云ったりはしないが、お礼を云はないのは習慣だ、儀式だ、外国語なら云ふかもしれない、日本人は珍しいので云った、程度でいい話だ。
お礼を云ふと執着が生じてしまふ、なんて云ふと、信徒が比丘に相談したり比丘を食事のため自宅に招待することも執着になってしまふ。
5で、「戒律」は日本語では二文字で一つの単語だ。二百二十七戒など戒と略すこともあるし、律蔵など律と略することもある。ところが戒は自律、律は他律として、律と呼ぶと、それは自律には従はなくてもよいことの宣言だ。日本では古来、戒律と称してきたのだから、それに従ふのが一番良い。

八月八日(土)
八月九日(日)

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