三千二十一(うた)短編物語「日露戦争勝利せず」
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十二月二日(火)
第一章 奉天会戦
日露戦争は、薄氷を踏む思ひで日本が勝った。戦後に陸軍では、本当に勝ったのか、と疑問の声も上がった。これは正しく、ロシアは血の日曜日事件で、戦争どころではなかった。
血の日曜日事件の一ヶ月半後に、日露は奉天で、日本側24万人、ロシア側36万人が、十八日間激闘を繰り広げ、世界史上稀な大会戦となった。死傷者は、日本が七万人、ロシアは六万四千人。ロシアは、このほか捕虜が二万人出た。日本軍にとり、これ以上の戦闘は無理だった。
この会戦で、ロシアの総司令官は実戦経験が豊富な元陸軍大臣クロパトキン。奉天から撤退したのは、開通したばかりのシベリア鉄道を活用し、日本軍を奥深く呼び込み殲滅させる戦略だったが、皇帝に理解されず会戦後に解任された。
このときもし解任されなかったか、或いは後任の総司令官が、日本軍の動きが止まったことに気付き、反撃したとしよう。物語は、ここから始まる。日本側に戦闘能力は無く、奉天は奪ひ返された。
第二章 アメリカの斡旋
イギリスの戦略は、日露を戦はせてロシアの国力を落とすことだった。アメリカもそれに倣ひ、このままでは日本が負けだすので、ロシアの国力が一番落ちた今こそ停戦の好機だ、と乗り込んできた。
日本の外務省と陸軍は、大海の木片とばかり喜んだ。しかし、賠償金無し、領土割譲無し、の和解条件に国民は怒り、焼き討ち事件が大都市で多発した。
そのやうなときに、日本海海戦が起きて、日本の大勝利だった。日本は今こそ最後の好機とばかり、アメリカに期待したが、ロシアが乗ってこない。ロシアは、バルチック艦隊は長期の航行で、海底に貝類が付着し速度が落ちた上に、海兵が疲労したためだ、と言ひ張った。
とは云へ、バルチック艦隊全滅のニュースは、ロシア国民を激怒させた。このままでは、皇帝の地位が危ない。交渉再開の結果、遼東半島(関東州)の租借権、東清鉄道の鞍山から旅順までを日本に渡すことで合意した。この区間は、極南満洲鉄道会社が運営することになった。
第三章 戦後
膨大な人命を消耗した戦争が終はり、得た物は半島の租借権と鉄道300Kmだけだった。国民の間には、戦争は割に合はない、とする考へが芽生えた。これはよいことだった。
その四十年後の昭和二十年七月に、イギリス領インド帝国ビルマから、南伝仏法の高僧が来日した。日本は日露戦争の後は戦争が無く、四十年間平和だった。お釈迦様の国インド帝国の、しかもお釈迦様の時代から続く南伝仏法なので、日本中で歓迎された。この高僧は、過去の出来事からその後を透視する能力で有名だった。
透視が正しい証拠は、一部の地域でしか知られてゐない過去の出来事を云っても、きちんと史実どほりを答へる。それなら現在から未来を予想することも出来さうだが、それは天上界の神々との約束で出来ず、無理に予想させても外れてしまふ。
この能力が活用できるのは、過去の出来事がもし別だった場合の予想だ。これも、今日以降の透視はできない。そこで、日本が日露戦争に勝ったらどうなったかを四十年間予想してもらった。日本は、極南満洲鉄道の先をハルビンまで取得し、樺太の南半分も獲得した。ここまで告げると、大きな拍手が起きた。しかしこのあと、会場は凍り付いた。
日本は、西洋列強の仲間入りをしたつもりになり、朝鮮を併合した。清国を馬鹿にするやうになった。やがてアメリカやイギリスと戦争をして、日本中が焼け野原になり、ピカドンと云ふ悪魔の兵器が長崎と広島に落とされ、多くの人が亡くなる。そのあとは、昭和二十年七月より後なので分からないとのことだった。会場は、ピカドンが日本中に落とされるのだろう、日露戦争に勝たなくてよかった、と喜んだ。
あからひく日露の戦引き分けに 最も良きに秋津洲大和にとりて平和が続く
反歌
いさなとり西の海なる大陸の真似は滅ぼす国の流れを(終)
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