三千二十(うた)県民公論に和光寺院が載る
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十二月一日(月)
県民公論(さいたま市の地方紙)のホームページに
★突撃!となりのミャンマー僧院、ミャンマー世界へようこそ

が載った。今年4月4日の記事である。前文は
約2年前、関東初となる「パゴダ」と呼ばれるミャンマー寺院の施設が建設されました。今回は、ミャンマー寺院とはどのような施設なのか取材しました。

本文に入り
施設を管理するのは、ミャンマー人のシェン・オーバーサー僧侶です。
シェン僧侶は、平成21年に来日し、東京都板橋区のミャンマー寺院、「Myanmar Buddhist Temple Tokyo」の僧侶を努めていましたが、(中略)板橋の僧院を弟子に託し、新たに建設された和光市のテーラワーダ・パリヤッティ僧院の僧侶となりました。
(中略)和光市にミャンマー僧院を建設した理由
ー ミャンマー人にとって、僧院は小さい頃から通う交流の場所であり、心を癒やす場所でもあります。しかし、板橋の僧院は、都内ということもあり非常に狭く、また、埼玉県にもミャンマー人技能実習生や留学生が増えたことから、「通いやすいように、埼玉県内にも僧院を立ててほしい」という声が多数集まり、和光市に建設されました。
(中略)和光市のテーラワーダ・パリヤッティ僧院の運営や日本の団体との交流について
ー 首都圏には、すでに、「Myanmar Buddhist Temple Tokyo」(東京都板橋区)と、「悟り寺」(埼玉県東松山市)があり、これらは「NPO法人ミャンマー文化福祉協会(MCWA)」(東京都板橋区)が活動を支援しています。
和光市の僧院では、文化・福祉面を切り離したMCWAの兄弟組織である「一般社団法人Myanmar Buddhist Society(MBS)」を設立し、在家のミャンマー人らの金銭的な支援のもと、純粋に仏教の活動のみに専念しています。その他、私たちをサポートする日本の団体などはありませんが、日本の上座部仏教の教え、文化、瞑想などを学ぶ(中略)学生から50歳代までの15人ほどが、毎月来訪され、ミャンマー人在家信徒と交流しています。

小生は六十九歳だが、50歳代までに含まれるやうだ。小生より年配や同世代の人は多い。全員が実年齢より若く見えるのは、普段からお寺に来る為だ。
十人が延べ人数は十五人かつて集まり パオ支院創設ののち半減し解散後にも回復はせず

反歌  パオ瞑想参加者多く一割がお寺に来るは昔も今も
人数が回復しないのは、パオ僧院支院が解散の後に、騒ぎに嫌気が差して離れたと推定してゐる。比丘は、瞑想法を変へても比丘を辞める訳ではない。在家の瞑想者も、お寺に来てゐれば信徒として続くが、瞑想会だけだと離れてしまふ。
僧院での活動について
ー ミャンマー本国の僧院では、令和3年に起きたクーデターや自然災害などで生活に困った人々を迎え入れ、シェルターとしての役割を担うこともありますが、当僧院では、そのような役割は担っていません。
しかし、僧院はミャンマー人が集まるハブ的な役割もあるため、困ったミャンマー人が僧院を訪れれば、助けられるようなミャンマーコミュニティを紹介することはできます。例えば、平成23年、東日本大震災が起きた際は、在日ミャンマー僧院からは、それぞれの僧院に集まるミャンマー人の声をかけ、被災したミャンマー人のために食べ物や新しい住居の手配をしました。
また、今次ミャンマークーデターについては、在日ミャンマー僧侶らが連名で国軍政府に対し、弾圧を直ちに辞めるようにとの文書を送りました。(中略)僧院に来訪する在家のミャンマー人の中には、周りに声をかけて募金活動などを行ったり、大使館前デモに参加する者もいるようです。
(中略)シェン僧侶は、僧院を国籍・宗教に関係なく、すべての人々に開かれた交流の場所にするため、興味があれば誰でも訪れてほしいと述べていました。

4月29日は、パゴダの設立記念日だ。
テーラワーダ・パリヤッティ僧院では、4月29日以外にも、5月3日〜11日まで瞑想会、7月6日に雨季に修行に励む僧侶へ僧衣を寄進する「ワソーの満月祭」、10月26日に外での修行から帰ってきた僧侶を迎える「ダディンジュ満月祭り」、12月31日に新年のお祝いをするなど、年間5回ほど、ミャンマー人にとって重要な仏教の祝日に合わせたイベントがあります。
(終)
(12.02追記)中板橋はMCWA。和光が出来るときにMTBA(Myanmar Theravada Buddha Association)と連名になったが、MTBAは昔あった大塚の名称らしい。

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