二千九百二十二(うた)閲覧注意会津若松客操車その二、及び貨物扱ひ所
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
九月二十五日(木)
会津若松に到着後は、まづ駅の反対側へ行った。賃貸駐車場から写真を撮ると

洗浄線が前方に 洗浄線横、(遥か先にパンタグラフ点検台) 前方にパンタグラフ点検台と、その左に除雪車庫
前回の旅行では「客車の留置線が四つとその外側に洗浄線が二線。その外側に留置線が五つで三つ目と四つ目間にパンタグラフ点検台。(中略)どこで交番検査をしたのか。パンタグラフ点検台の外側の五つ目しかない。」と書いたが、洗浄線が一線、パンタグラフ点検台が一線、その外側に除雪車留置用に一線。
客操と貨物の駅が消滅し鉄路の魅力秋風が吹く
次に、ホテルの窓から撮った写真は

左が正面口、前方斜めの茶色屋根は貨物扱ひ所跡(現、賃貸駐車場)、 同夜景
右のコンテナが貨物駅、奥の四角形の建物はホームセンター、
屋根の左は留置線群跡(現、屋外賃貸駐車場)
コンテナはトラックのみが運搬し鉄路の利点大雪が降る
二日目は、喜多方から会津若松まで戻ったときに、会津鉄道の発車時刻迄時間があったので、駅の中を見て回った。

4番線から3番線を見る 5番線のお座トロ列車 1番線の背後は貨車留置線跡
(ホーム高さを1966年以前の「原則」(760mm)から
電車共用(920mm、1966年以降は「原則」)にかさ上げ
の範囲が前方へ拡大が分かる)
帰りにも会津若松待ち時間駅の中には見るもの多し 国鉄時代(終)
(追記9.28)ホームの高さを見ることは、鉄道に乗る趣味の一つだった。膨大な数の駅を見たがほとんどは1966年以降の、原則(920mm)、電車専用(110mm)、旧式(760mm)だった。例外が、鶯谷駅の1100mmと920mmの中間と、特急ときの車両(161系、181系)は一般の電車より100mmくらい低かった。
(追記9.29)現地で、気動車が徐々に電車仕様化(非客貨車化)することにも、気付いた。キハ110は、連結器が密着連結器になった。キハE120は、前面左右の尾灯(円形赤色反射板)差しと、入換用の握り棒が無くなった。そして現在は、電気式気動車が登場したが、今回は無縁である。
気動車はかつて貨物の最後尾車掌車の前に連結し配給したが 組成駅廃止になりて少しづつ客貨車離れ 今へと続く
反歌
気動車は客車に近い仕様から電気気動車電車と同じ
反歌
客車にも二十六系従来や新系列とかなり異なる つひに引退
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