二千九百二十二(うた)喜多方と下今市旅行記外伝
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
九月二十五日(木)
母の一時宿泊が、今月は二回あったため、小生の宿泊旅行も二回になった。二回目は、郡山日帰りにしようと考へたが、会津鉄道のお座トロ列車に乗りたい気持ちもあった。そして、一回目と同じ会津若松の宿に泊まることにした。
一回目は、午前中に仕事をしてから出発したので会津若松到着は15時20分。この日は市内中心部を歩くに留めた。二回目の今回は、妻が早出し、小生が短期宿泊の送り出しをした。一回目は11時で遅れることもあるとの事だったが、二回目は9時に来てくれることになった。
帰りも、一回目は母が短期宿泊から戻っても大丈夫なやうに五時前には家に着くため、会津若松を12時前に出発した。今回は、母と妻が翌日帰宅なので、夜の8時前に帰宅した。
つまり一回目は一泊一日、今回は一泊二日、併せて二泊三日になった。今回は会津若松へ12時31分に着いた。駅内の食堂や、駅前のバスターミナル、食堂、駅前通りを探したが、結局は駅横の食品スーパーで、濁り酒一合と弁当を買った。夕食もこのスーパーで買ひ、晩酌はしなかった。
二日目は喜多方へ初めて行った。喜多方の地名は、小学生の時に、喜多方行きの気動車急行を見て知った。
小学生気動車急行行き先が喜多方とあり これのみの思ひ出保ち六十年 初めて足を未踏の地へと
反歌
急行のざおうばんだい線路脇客車見たのは小学二年
インターネットで調べると時系列で、急行鳥海、ばんだいは秋田、喜多方行き客車。急行ざおう、ばんだいは秋田、会津若松行き客車で後に気動車化。記憶は年月差を混同したやうだ。
喜多方は酒蔵の街なので、北方風土館で一合強、帰りのお座トロ列車の車内で、南会津の酒一合(350円)を二回買った。亡き父が昔、旅館でビールを注文するのはお付き合ひだと云った。車内で二本買ったのは、会津鉄道を盛り上げるための、お付き合ひである。
二回目に買ふときは、酎ハイ類にしようと思ひ、度数は七度か訊くと、缶を見て五度だと云ふ。300円で五度だと価格アルコール度が低いので、二回目も日本酒になった。これで思ひ出すのは、二十五年前に初めて欧州旅行をして帰りに、酒の選択でどれがアルコール分が多いか考へ、ウィスキーにした。一瞬考へたことからアルコール分だらうとCAが気を利かして、通常は小さな瓶2個なのに、3個頂いた。さすが英国航空(BA)だと、感心した。
と云ふやうなことを書くと、断酒はどうなったのか、と云はれさうだが、晩酌は今でも断酒が続く。旅行中の昼だけ晴れの時だ。
晴れの時昼にお酒を唯一飲める 晩酌は如何なる日にもしてはいけない 晴れの日の宴会ならば晩酌もあり 宴会を目的とせず付随なら善し
喜多方から会津若松まで戻り、会津鉄道の発車時刻迄時間があったので、駅の中を見て回った。
帰りにも会津若松待ち時間駅の中にも見る物多し
会津鉄道、野岩鉄道を活性化するには、新幹線を使はず会津へ行ける特長を生かすべきだ。更に、ジパング倶楽部に負けない制度を作るべきだ。乗車記録票を100円で売る。写真を貼り、新藤原から会津田島以北に乗るごとにスタンプを押し、二つ溜まったら、三回目以降は一回または二回づつ(五日間以内)半年に一回30%引きにする。
これでジパング倶楽部に対抗できる上に、六十四歳以下も獲得できる。名称は、尾瀬への誘致も兼ねて、会津尾瀬ファン倶楽部とでもするとよい。
会津から私鉄のみにて東京へ貴重な鉄路老若問はず
会津若松駅のホームに、前の列車が停車中なのに、列が出来た。只見線を待つ人たちだった。途中止まりを除くと一日に三往復しかない。途中には、只見線鉄道施設群として、十六の橋と一つのトンネルが、土木遺産に指定される。一日三往復で、すべてを観るのは無理だ。一度に三つづつ、施設の近くに停車して見学できる観光列車を設定すべきだ。月替はりで、停車場所を変へるとよい。
施設以外に、景色の良い場所も含めるとよい。バス会社と連携し秘境巡り、温泉巡りもするべきだ。(9.27追記 9月13日から11月30日まで、土日祝日に会津若松から只見まで往復し、只見から会津川口までは只見線に乗車するコースがあることが分かった。昼食、温泉、ガイド付きで6900円。これの全鉄道版が望まれる)。
次に、終着駅の小出は不便だ。観光列車は浦佐まで運転するとよい。
只見線福島県の尽力に全線復帰全力応援(終)
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