二千九百十五(朗詠のうた)最新の歌論文芸論(他を盛り立てる、組み合はせの美しさ)
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
九月十二日(金)
普通の文(定型ではない文)を書く時も、定型に近い文字数に作る。これは歌を作り始める何十年も前から、無意識のうちに実行して来た。最近作った普通の文章で、書きながら定型の美があると思ったものがあった。どの文章かは読み返しても見つけられなかったが、おそらくこれだと思ふ。
そこで、慌てて今までの普通文をみると、醜い字数のものは無かった。安堵と同時に、歌に気を取られて普通文がおろそかにならないか心配になった。普通文に歌を入れることは、普通文を美しくするためだ。日本では伊勢物語が美しいし、お経では偈(げ)だ。パーリ語経典の偈には、釈尊が直接述べた言葉も残ってゐる、は中村元ばかりか多くの学者が言ってゐる。
九月十三日(土)
歌は、(1)それ自身が美しいもの、(2)他を盛り立てるもの、(3)組み合はせで美しいもの、がある。ここで美しいとは、趣向を含む。例へば八月二十四日の「アメリカの猿真似するは若さ故若狭DC末な呼ばれそ」は、「若さ」が序詞、「末な呼ばれそ」は道真の「東風吹かば」の歌を国民的和歌として使用した。口語と思はれない口語、文語と思はれない文語を目指す歌風とは、矛盾しない。
さて、明治以降は西洋の影響を受けて、単独の俳諧発句、単独の短歌ばかりになってしまった。しかしどちらも複合で鑑賞すべきものだ。和歌について明治の半ばまでは、過去の歌との関連と云ふ複合があった。
黒船が現れる前 秋津洲和みの歌はほかの歌ほかの文との和(あ)ゑるあり 短き歌と呼ぶ後は単(ひと)えとなりて美しさ減る
反歌
黒船の後は歌にも西の洋(うみ)癖が移りて良きことは無し
九月十六日(火)
題詠は、(3)組み合はせで美しいもの、になる。その中の(1)を兼ねるもののみ取り上げようとするので、後世に月並みだと感じることが多くなる。歌集は、作者の人生物語だ。或いは、主張物語、描写物語だ。万葉集は、文化記録物語、歴史記録物語、和歌記録物語。
伊藤左千夫が、歌会をあちこちで開いた。これはよいことだ。しかし雑誌を作るやうになって、(1)それ自身が美しいもの、に偏重となった。門人たちと選歌で意見が異なるやうになるのも、雑誌が原因だ。
(半年ほど前に、左千夫だけだと検索されないことが分かった。そのため今回から一つの特集の、一回目は姓と名、二回目から名を使ふやうにした。過去のものも、時間を掛けて直すことにした。
左千夫にて伊藤左千夫が見つからず 電(いなづま)による文使ひ今頃気付き此れからはまづは氏入り次から省く
反歌
筆の氏初めは入れてその後は省くが良しと今さら気付く
同じ語を入れない作風は、最近強くなった。此の長歌と反歌はその典型だ。これは歌の美しさとして、今後長く続くだらう。子規の写生より、遥かに重要だ。)(終)
(追記)本日中に、「左千夫」で検索された全ファイル166ファイル中で、左千夫のみのファイルについて先頭に伊藤を追加したが、引用文中だったり、歌の中だったものは除外した。その結果、修正したのは117ファイルだった。これらは子規、赤彦、茂吉なども修正した。それ以外も、節、秀真、牧水、空穂、水穂などの一部(気付いたもの)を修正した。
その間に、歌の表記が句ごとに切ったものが連続して見つかり、30ファイルを修正した。
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