二千九百八(うた)尾久客操の終焉
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
九月三日(水)
本日午前一時に、カシオペア十一両(一号車は残った)が長野に廃車回送になった。ここまでの経緯は、
先々週の火曜には、12号車の電源車兼ラウンジ車を外して、予備電源車を連結した(写真左側)。外した電源車兼ラウンジ車はカシオペアの南側に一両だけ留置した。(写真右側、石油タンクの両側に1号車と12号車が向かひ合ふ。)

 
木曜には、電源車兼ラウンジ車が見当たらないので検修庫内だと思ふ。
先週火曜には、電源車兼ラウンジ車が元の位置に連結され、予備電源車と1号車が外され行方不明になった。
先週木曜には、1号車が11両定位置の隣の線に単独で留置された(11両を背後に1号車が手前に止まる)。


そのような経緯から、カシオペアをイベントで使ふのだろうと思ったら、本日午前1時に尾久から長野に廃車回送された。先々週に、電源車兼ラウンジ車を外して予備電源車を連結したことは、他の11両に蓄電池から供給する為で、今後もイベントで使用、と予想した。長野でイベント使用ならよいのだが。
尾久か上野で宿泊施設として使用するのが、一番よい。上野のときは、牽引用気動事業車を後方に連結し、上野で切り離し(車長がはみ出す)牽引用気動事業車だけ尾久に戻るか、或いはそのままにして(深夜はホームを使はないので)翌朝尾久へ引き上げる。
今回の回送で、尾久に残った客車は、1号車と予備電源車のみだ。これで尾久は、客車操車場としての機能を終了した。ここに至るまでを時系列で記すと

  1. 貨車操車場の廃止
    客車を配給する三つの方法(1)客車列車に連結、(2)貨物列車に連結、(3)配給列車を仕立てる、のうちの(2)が消失した。
  2. 列車の本数を増やし、連結両数を減らした。
    貨車操車場方式の貨物列車を廃止した結果、線路容量に余裕ができたので、列車の本数を増やし、連結両数を減らした。乗客にとっては便利になったが、乗客増には役立たず、現在に至った。
    連結両数を減らすことは、客車列車が不利になった。
  3. プラザ合意
    動力費が減り、人件費が増えた。これで増々客車が不利になった。しかし欧州では客車の最後尾に運転室を設けて、機関車付け替へが不要だった。日本が採り入れないのは、動力分散化が既定方針と今まで思って来たが、連結器の相異かも知れない。欧州のやうに鎖式ではないと、機関車で推進(後方から押す)するときに速度制限があるのだらう。
    鎖式を採用できない理由は、軌間が狭いためだらう。
  4. 国鉄分割
    国鉄分割時に、旅客と貨物を分けたのは、最悪だった。これで客車はイベント用を除き、生き残れなくなった。機関車は貨物鉄道に任せる方法もあるのだが。
かつての客車とカシオペアには、異なる点が二つあった。