二千八百五十二(うた)保守の根源は何か
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
七月十七日(木)
前回、保守とは生活を守ることだと書いた。終戦後、マッカーサの洗脳で世の中が西洋化することで、今までの生活が脅かされる。そのことへの反発が、革新勢力の人気を生んだ。
(革新に対抗する側が、保守を名乗ったのは巧妙だった。これは、社会主義化への保守として、自由党と日本民主党が「保守合同」を名乗ったので、生活保守派である革新を削ぐことになった)
戦後の西洋化が一段落すると、生活を保守する意義を失った。おそらく昭和六十(1985)年辺りだ。これ以降、新たな根源が必要になった。古事記、萬葉集、その他古典文学、歌舞伎、論語、仏法、神道、自然保護、野生生物、等々。
西部邁さんは、西洋の学問を根源にした。フランス革命に反対する理論を構築しても、日本にはああ云ふ劇的な政変は無かったから、的外れになる。そればかりか、日本では戦後に少しづつ西洋化が進んだから、劇的ではなく静的な変化への対応が必要だった。それに対応できない。
それでも西部さんは、9.11テロのときにアメリカを茶化し、そのため西尾幹二さんと論争になった。そのとき西部さんは、西尾さんもアメリカは嫌ひな筈だが、と発言した。
西部さんと西尾さんに於ける保守の根源は、西洋化する前の日本の生活だった。ところが西部さんは、老化と西洋化した生活を長く続けたために、日本の生活を忘れてしまったのだらう。
それまで西部さんはテレビの「西部邁ゼミナール」に毎週出演し、よいことを発言してきた。それなのに「日本人とは、そも何者ぞ」で和魂洋才は不可能だ、と変なことを言ひ出し、多摩川で入水自殺した。
だからあの発言は、老化と自殺を前に異常心理によるものと、好意的に解釋してきた。好意的ではなく、第三者的に解釈すれば、さきほど述べたやうに、日本の生活を忘れてしまったのだらう。
西西の対立一躍有名にだが晩年は部が西洋化
七月十八日(金)
西部さん最大の誤りは、澤村さんの和魂洋才不要論に賛同したことと、「英語というのは(中略)音の調子もいい。そして、音楽的に英語を上回るのがフランス語です」発言だ。前回はこのやうに変な発言をした理由に、「遣隋使や遣唐使、空海最澄道元など、昔の人たちが大変な努力をしたことを、西部さんは完全に無視した」を挙げた。
二番目の理由に、中学生から英語を学び、発音に慣れたことがある。日本人は、元々は英語に慣れなかったから、質問を意味する語をクエッションと云った。クエッションマークなど、おそらく昭和四十年代前半までは、この言ひ方だった。今は慣れたからクエスチョンを使ふ。しかし慣れても、よく考へれば「チョン」は語感が悪い。
この二つの理由に気付かぬとは、老衰か、自殺を前に異常心理か、もともと頭が悪かったか。(終)
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