二千七百七十(うた)西部邁「日本人とは、そも何者ぞ」その二
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
五月二十五日(日)
第二章「物語storyとしての歴史history」は題がよくない。せっかく西部さんは、変な国籍不明語を使ふ病が治ったのに再発か、と思ってしまふ。ここで第一章「聖徳太子とハイブリッド・カルチャーの始まり」を振り返ると、やはり題が悪い。
第二章で問題発言は、西部さんの
これは他国の悪口になるから国名は言わないけれど、音楽的に変ではないかと思う言葉をしゃべっている国民がいる。

おそらく中国のことだらう。まづ声調で区別する言語は、チベット、ベトナム、タイ、ミャンマーなど多岐にわたる。言語は、それぞれ美しさがある。それなのに西部さんは
英語というのは(中略)音の調子もいい。そして、音楽的に英語を上回るのがフランス語です。

西部さんの西洋かぶれには呆れる。醜い言語とは、国籍不明語を混ぜる人たちだ。つまり西部さんこそ、音楽的に変な言語を話す典型だった。
だいたい、遣隋使や遣唐使、空海最澄道元など、昔の人たちが大変な努力をしたことを、西部さんは完全に無視した。
第三章「空海と最澄、そして鎌倉仏教の思想」では、空海最澄が早速出てくるが、西部さんの
鎌倉仏教は、日本人の精神のコンプリヘンシブな(以下略)

と醜い言語も早速登場する。澤村さんも
最澄の方が(中略)長安に行かなかったのがかえってよかった。一時の流行に囚われず、最先端の仏教ではなく伝統的な仏教をきちんと学ぶことができた。ブレレアントな才能はなかった代わりに(以下略)

と醜い言語ぶりを発揮する。最澄は、密教も学んだ。しかし帰国後、既に日本は密教の人気が高くなってゐた。最澄は空海に弟子入りし書籍を借りたりしたが、最後は喧嘩別れした。決して、最先端を排し、伝統を学んだ訳ではなかった。
西部さんの
最澄がどうやって仏教を土着化(日本化)していったのか、説明してください。

に対し、澤村さんは
法華経を重視した点が重要だったと言われます。

天台大師智顗が法華経を重視し、天台山十一代目の行満から最澄は法を授かった。法華経重視は最澄の功績ではない。
このあと鎌倉仏法へ入るが、末法になったと信じられた時代背景が抜ける。末法だし武士の世になったし、末世だと皆が悲観した事実が無視された。
西部さんは、正方形の左上に「親鸞(社会)」、左下に「道元(文化)」、右上に「日蓮(政治)」、右下に「旧仏教(歴史)」、と書くがまったく役に立たない。第三章は、出鱈目な内容を知ったかぶりするだけで、時間の無駄だった。
第四章『敗北の美学「平家物語」と本居宣長「もののあはれ』では、西部さんが平家物語について
日本人は本当に、没落してゆくものの「あはれ」を、単なる悲しみとは捉えなかった。

これは平家物語の書き方がさうなのであり、日本人全体ではない。そこには、少し前まで権力を持った一族の滅亡に、憎しみを感じた人も多かったことだらう。時間の経過とともに、思ひ知ったか、の気持ちが昇華してあはれになったのではないか。
第五章から第七章は、読むべきものが無い。第八章「なぜキリスト教は日本に根づかなかったのか」は、秀吉と家康が弾圧したから、の一言に尽きる。このあと最終の第二十章まで、読むものが無い。
このあと、西部さんは多摩川で入水自殺する。亡くなった翌々日辺りに東横線が真っ暗な多摩川河原を渡るときに、寂しさを感じたものだった。
ところが今回、この本を読むと、寂しさをまったく感じない。それは七年間の経過があるが、それ以上にこの本は出来が悪い。西部さんは反米で一躍有名になったが、本人は反米の印象を消したかったのではないか。だから反中や英語賞讃で、帳尻を合はせた。
或いは、自殺路線を一直線に進む中で、言論の質が悪化したか。西部さんの書籍で、最後に自殺をほのめかすものを過去に読んだ。だから、言論が低質化したので自殺したのではないことは確かだ
西部さん自殺は保守と逆方向最大矛盾此の世へ残す
(終)

----------------ここから「初期仏法を尋ねる」(百三十五)----------------
追記五月二十六日(月)
いつから末法に入ったかは、釈迦滅後千年説と二千年説がある。年月の経過とともに、教へが衰へるのは万国共通の原理であり、事実、釈尊滅後に年代とともに、根本分裂が起きて、更に部派仏法になった。このあと多くの説は、大乗の発生と続くが、小生は部派の一部が大乗と自称しただけだとする。
(追記5.28)天台大師智顗の三大著書の一つに、摩訶止観がある。これは止観(瞑想、坐禅)のやり方を説明した書籍である。つまり天台宗までは、部派と違ひはない。拝むだけになったのは、鎌倉仏法である。
とは云へ、比叡山は密教化で、その前から拝むだけが進んだか。それより最澄最大の害悪は、戒律を軽視したことだ。天台宗内部での武闘や、僧兵の横暴から、信長の焼き討ちまで続く。
兼「初期仏法を尋ねる」(百三十四) 「初期仏法を尋ねる」(百三十六)
----------------ここまで「初期仏法を尋ねる」(百三十五)----------------
追記五月二十六日(月)その二
澤村さんの和魂洋才不要論は、和魂洋才を唱へることで洋才を正当化してはいけない、と捉へることもできる。しかし、洋才をしなければ、幕末以降の帝国主義を乗り切ることはできない。そんな状況で、和魂洋才不要論を唱へてはいけない。
追記五月二十八日(水)
西部さんの「英語というのは(中略)音の調子もいい。そして、音楽的に英語を上回るのがフランス語です。」は、西洋崇拝が限度を超えて悪質だ。自殺を前提に録画を始めたため、言論が低質化したのだらう。或いは老化が進んだか。西部さんは、老化が進んだら自殺することを、書籍でほのめかしたことがある。

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