二千八百十六(うた)上座部仏法、初期仏法
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
六月二十二日(日)
ミャンマーへ旅行した人の動画を何本も観て、上座部仏法が有効に機能することがよく分かった。そのやうな国々は、今の状況をそのまま続けるのがよい。
しかし日本では、タイやミャンマーの上座部仏法を、上座部と認めない人がほとんどである。中村元さんでさへ、パーリ語は仏陀の話した準マガダ語とは異なる、西部の言葉と主張する。中村さんではないが、スリランカの上座部は、上座部が枝末分裂したあとの一派から発生したとする本を見たことがあり、従って根本分裂の時の上座部とは不連続とする。
小生は、上座部仏法と良寛和尚から、初期仏法がどのやうなものだったかを探りたい、と昨年十一月二十七日までは思ってゐた。これは、上座部仏法の経典学習会が新型コロナで中止になり、前半は心情に変化は無かったが、後半に良寛和尚に傾いた為だった。すぐに心情が元には戻らないので、まづ上座部仏法と良寛和尚から書義仏法を探り、次いでおそらく上座部仏法に戻るだらうと予想した。
ところが、良寛和尚を調べることから、小生を曹洞宗側の人間と思ふ人がゐて、小生自身が上座部仏法に対して距離を取るやうになった。母の高齢化が進み、家を空け難くなった事情もあった。
高齢の母がゐる上 日曜はデイサービスが休みにて 家を空けるが難しくなる

反歌  コロナ禍やSL旅行本歌取り玄奘法師動画にも遇ふ
その頃、SL列車に乗り、みなかみ紀行から牧水の歌を本歌取りし、他の人や古歌集の本歌取りも行ふことが今年三月まで続き、感心が歌に傾いた。その後、五月から玄奘法師を調べ始め、一時は上座部と玄奘法師と良寛和尚から初期仏法を探さうした。しかし玄奘法師本人か、弟子たちのなかに、大乗に傾倒する余り、従来仏法を批判する表現があり、玄奘法師に距離を置いた。
このやうな経過を取ったのは、日本で仏法が機能しない為だ。日本の大乗仏法は、僧侶妻帯と世襲でもはや駄目なので、上座部の影響で大乗を立て直すべきだ、とも考へた。その後に、初期仏法を復帰できないかと考へ、最後に、玄奘法師の書に上座部と呼ぶ派があり、それまで南伝と呼んでゐたものを上座部に戻した。
上座部を 釈尊滅後百年に二つへ割れた根本の分裂による 上座部が連続すると思ふ人ほとんどおらず日本の国は

反歌  玄奘の文は上座部スリランカそしてインドに健在示す
そして、ミャンマー旅行の動画を幾つも観て、冒頭に述べたやうに、ミャンマーでは上座部仏法が有効に機能することを、改めて知った。(終)

「初期仏法を尋ねる」(百五十四) 「初期仏法を尋ねる」(百五十六)

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