二千七百六十八(うた)西部邁「日本人とは、そも何者ぞ」
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
五月二十四日(土)
浜崎洋介さんの動画を観たので、八年前に強く批判したテレビ放送「日本人とは、そも何者ぞ」を書籍化したものを読んでみた。まづ西部さんが
平成に入る頃から(中略)「国境なきグローバルスタンダードの進展」「だから日本人も世界標準に合わせないといけない」といった言説がまことしやかに語られ(以下略)
そうなると逆に(中略)冗談じゃない、いまこそ日本人論だ、と僕は思ったのです。
そこからさらに時代が過ぎ、平成も30年近く続いたところで(中略)グローバリズムに、挫折といってもいい状況がやってきた。アメリカもヨーロッパも中国もロシアも「自国ファースト」へ旋回して、国民国家の時代へと(以下略)
ここまで西部さんの主張はまともである。小生自身は、自国ファーストは第二次トランプ政権になってからとの思ひがある。西部さんは、第一次トランプ政権で思ったのかな。その後のバイデン民主党政権時代に、西部さんは此の世にゐなかった。
それに対し、和魂洋才不要論で悪名高い澤村さんは
グローバリズムは民主主義でも、自由経済でも、ITでもファッションでもいいのですが、世界標準を共有しようとした。
まづ日本には、西洋化したがる売国奴が一定程度ゐる。彼らがグローバリズムに飛びついた。挫折ののちは、自由だ、民主主義だ、と叫んでゐるが。次に、経済優先の人たちがゐる。これは一つ目より多い。それが自由経済とITに飛びついた。澤村さんの主張は不十分だ。
このあと澤村さんで批判すべきは、エドマンド・バーク流にいうとプレスクリプション、リージョン、アディクション、と国籍不明単語を羅列する。西部さんにも、かつてその傾向があったが、晩年には克服した。
もう一つ、澤村さんは日本は「のっぺらぼう」になったと云ふ。論理的に、どこがどうのっぺらぼうになったかを云ふべきだ。そんな抽象的な言葉でごまかしてはいけない。そして対策まで云ふべきだ。
だから小生は、和魂洋才で行くのがよい、と主張してゐる。このあと澤村さんは
戦後まもなくの左翼全盛時代は軍国政治を招いた「日本的なもの」を批判するのが基調で、(中略)一方、ビジネス界は日本的経営の礼賛からはじまり(中略)過剰な自罰と過剰な自尊に振れるのは(中略)「顔がなくなった」せいです。
戦後まもなくは、敗戦及び米英を批判する深層心理はあるものの、日本の軍部を批判することになった。決して「日本的なもの」を批判する訳ではなく、米軍を批判することになった。当時は朝鮮戦争やベトナム戦争で米ソ冷戦時代だったため、左翼が社会主義側になびいたのは当然で、「日本的なもの」を破壊する米的なものを批判する深層心理が、左翼へ向かった。
この辺のことは佐伯啓志さんだったか、日本文学尊重派が左翼へ流れたと軽く触れたことがある。ここで云ふ左翼とは、終戦直後の産別会議から民同を経て総評社会党ブロックまでの流れで、若者たち(と云っても小生より年配の世代だが)の学生運動や新左翼とは異なる。これらは戦後に成人を迎へたため反日になってしまったが、それはマッカーサーの洗脳であった。
次に日本的経営の礼賛は、ベトナム戦争が終結し、革新勢力が弱体化ののち、バブルの崩壊まで続いた現象で、経済の勢ひが圧倒したから、これは当然のことだ。それがなぜ続かなかったかは、結局はアメリカの手の内で動かされてゐたからだ。
以上が序章である。
五月二十五日(日)
第一章に入り、澤村さんは
日本人は感情優位の民族だとしばしば言われ(中略)しかし(中略)急激な変革を求められる時期になると、実は思い切って合理的になる(以下略)
さう発言したからは、さうなる理由と、今後役立つかまで云はないといけない。小生が思ふに、感情優位だから目上に逆らひたくない。全体が事勿れになる。しかし緊急時には、異端者が出てくる。
ここで気を付けなくてはいけないのは、先の戦争の敗戦後みたいに、国内がめちゃくちゃになった後に異端者が出て来ても遅い。澤村さんの主張だと、緊急時には合理的になるから何もしなくていいみたいだが、それでは遅い。
もう一つ有害なのは、西部さんが北欧系アメリカ人の「へそ曲がりの経済学者」の説を信じて、ユダヤ人と日本人が似ると云ふ。ユダヤ人は
あの国からこの国と渡り歩くうちに(中略)新たな組み合わせで使いこなす民族性を手に入れた。
日本は違ふ。漢字を取り入れるときは、膨大な年月を掛けた。ユダヤ人みたいに、あちこち移動して短期に混ぜた訳ではない。西部さんは、問題点として
雑種とうもろこしは、最初の世代では収穫が何倍にもなる。ところが世代を重ね(中略)繁殖力を失う(以下略)
小生が思ふに、雑種とうもろこしは、収穫が何倍にもなるものや、実のできないものや、要は標準偏差が大きい。すると前者を取捨選択するから何倍にもなるのだが、遺伝子がいろいろ入れ替はるうちに、実のできない性質も出てくるのではないか。
西部さんは、現象の起きる理由も解決法も云はず、単なる雑談倶楽部に堕した。
あちこちを入れて短期はよく見える だが権力者堕落して長期で見れば滅亡の道
反歌
西洋の発狂文明短期では贅沢三昧長期は滅亡(終)
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