二百七十三(その一)、三ヶ国上座部仏教参拝記

平成二十四年
五月十八日(金)「タイフエステイバルの二つの寺院の出展」
毎年春にタイフエステイバルが代々木公園で開かれる。昨年は東北大震災の影響で一旦は中止になり、秋に靖国神社の参道で小規模に開かれた。今年は例年どおりだから大変な混雑であつた。私は混みすぎる催し物は好きではない。一通り見ただけで帰らうとしたところ、寺院の出展を見つけた。
タイの二つの宗派の支院が総州香取郡と武州多摩郡にある。その二つの支院から1つのテントを2つに分け、仏像を飾り比丘が居られた。タイ人が参拝してゐた。私も靴を脱ぎテントに上がり仏像に三拝した。
三拝は日本の曹洞宗や臨済宗でも行ふが、まづ合掌してそのまま頭と手を床に付ける。曹洞宗や臨済宗は仏足を頂くといつて手のひらを上向きにして手を少し上げるが上座部仏教はそれはやらない。やつても別に不自然ではない。私も最初の二年くらいは上座部仏教でも仏足を頂いてゐた。日本人も靴を脱いでテントに上がり三拝してほしい。

五月二十日(日)「タイフエステイバル改良すべき点」
タイフエステイバルで気になるのは、英語の表示である。食事をする場所などの表示が英語とやや小さく日本語である。ここは日本だから日本語ですべきだ。在日タイ人も目標にするなら、あるいはタイ風を表はすならタイ語を併記すべきだ。英語でアジアの国どうしが意思疎通することは避けるべきだ。それでは帝国主義の時代と変はらない。(タイ編、完)

五月二十一日(月)「ミヤンマーの高僧」
日本に長期滞在するミヤンマー人僧侶がゐて在日ミヤンマー人の心の支へとなつて来た。その僧侶の日本人向けに経典勉強会が毎月開かれる。この勉強会は日本語に堪能で仏教用語にも詳しいミヤンマー人が通訳をしてくれる。
昨日は四悪趣について話された。デュクサム(動物)は人界と同じ場所だからデュクサムブミ(畜生界)とはあまり言はずデュクサムヨニといふ。4種がありアペタ(足がない)、ルイパタ(二つ足)、スパタ(四つ足)、バフォパタ(多数足)。各界についてこのような解説があつた。大乗仏教についていつも思ふことは、基本部分は上座部仏教とほとんど同じだといふことである。仏法僧、戒律、菩提樹の下の悟り等々。

今回は終了後に、午後五時から来日中の高僧の説法があつた。ミヤンマー人約40人は二階の本堂、日本人約15人は一階の集会室でビデオ中継を見ながら通訳して頂いた。
生老病死は誰も免れない。しかし若く見せようと化粧する。生命保険を掛けても死は免れない。ミヤンマーはモノが豊かなのに争ひが多く貧乏だ、魔が強いからだ。政治と文化を発展させなくてはいけない。地球温暖化がせまつた。
デモのとき毎回仲裁しようとしたが、遊説先で逮捕され1年以上拘置された。通訳からそのような解説があつた。
釈放後、キン・ニュン首相(当時)が寺院に来たので、釈尊の教へに従つて政治をするよう言つた。政府は親族だけが栄へる政治をしてはいけない。
このような説法があつた。高僧は80歳で空港は広く階段が多く移動が大変なので空港では車椅子を使ひ来日された。説法の後に我々日本人も挨拶に伺ひお疲れなのに15分ほど話を伺つた。最後に三拝し退出するときに、この三拝で長寿になりますように、とお言葉を頂いた。私が平均寿命以上に生きれば、それはこの高僧に三拝した功徳であらう。

五月二十二日(火)「仏前の舎利」
本堂の仏像の前にはパゴタの型をした高さ15cmくらいの透明な瓶が五つくらい置かれてゐる。今まで気が付かなかつたがこれらは亡くなつた高僧たちの舎利である。勉強会の前に一つ拝観させてくださつた。瓶の蓋を開け中に入つてゐる2cmくらいの舎利10個くらいを直接に拝観した。
仏道では亡くなれば遺骨は物質に過ぎない。しかし修行を積んだ高僧の舎利を分骨し、多数の人が拝観しつつ高僧を偲ぶのは意義がある。

五月二十六日(土)「日本とミヤンマー」
戦後も昭和六十年あたりまでは、日本にとりミヤンマーは親しみを感じる国だつた。それが変はつたのは一つには拝米拝西洋日本人が増へたのと、二つには軍部のクーデターである。国の名称がビルマからミヤンマーに変はつたのはあまり意味がない。口語と文語の違ひである。
軍部と反政府のどちらかが急激に勝ち過ぎるのはよくない。五年前のような騒ぎになる。今回のように双方が歩み寄り信頼関係を深めることがよい。よくないのは日本のマスコミと自称進歩人である。両者を仲介しなくてはいけないのに欧米の猿真似に終始した。それでは日本の存在意義がない。欧米とは別の立場で仲介すべきだ。欧米は信用できないが日本やASEANとなら話ができる。さういふ立場になるべきだ。(ミヤンマー編、完)

五月二十七日(日)「ラオスフエステイバル」
二七日は代々木公園のラオスフエステイバルに行つた。タイフエステイバルと同じように昨年は東北大震災で中止になつた。ラオスフエステイバルはタイフエステイバルを小型にしたもので、出店は1/3だらうか。しかしこれくらいの混み方が丁度よい。食事を購入したらステージの観覧席で食べることもできる。
タイの東北方言とラオス語はほぼ等しい。だからタイフエステイバルに行くつもりでラオスフエステイバルにももつと足を運んでほしいと思ふ。在日ラオス人が特に観覧席に多かつた。
ラオスフエステイバルの公式ホームページには9枚の写真が掲載され、そのうち3枚は僧侶、1枚は仏像が載つてゐる。当然、仏教が出展されるだらうと期待したが大使館の文化紹介の出展に、仏像が一つ展示してあるだけだつた。あれは奉安したのではない。民芸品と同じように置いてあるだけだつた。パンフレツトには「ラオス独特の伝統的儀式、バーシーを体験しよう」と書かれ儀式を執行する僧侶の写真と、大使館の文化紹介コーナーのブース番号が書かれている。「ここが見どころ」といふ赤い字まで書かれてゐる。それなのに僧侶はゐなかつた。

五月二十八日(月)「日本は西洋文明を押し付けてはいけない、その一」
ラオスフエステイバルは、ラオス料理レストラン、日本の高等学校、日本の大学サークル、その他西洋で生まれた運動の日本支部団体などが出店した。このフエステイバルはラオスに学校を作らうといふ目的を持つ。しかし団体によつては西洋のやり方をラオスに押し付けることになるのではないかと心配になつた。
ラオス人の日本留学生の出店であらう。そこでラオス焼酎のカクテル(300円)を買つたところ、模擬店の若い店員たち6人くらいが笑顔で拍手して送り出してくれた。ラオス人は純粋な人達である。


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