二千六百五十七(朗詠のうた)本歌取り、潮みどり
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
二月十六日(日)
潮みどりの歌を本歌取りしようと、編年体大正文学全集第十一巻を借りた。みどりは、牧水の奥さんの妹である。ところが、「創作」大正11年3月号の十八首しか載ってゐない。さいたま市立図書館の検索システムには、この一冊だけであった。
利鎌もてけさを刈りしか水仙のきりくち白く尖りたるかも
利鎌にてけさ切りにした草花を仏に捧げ三日月を見る
利鎌と三日月は縁語、けさと仏も縁語。歌が十八首しかなく、本歌取りに合はない歌を含める為、縁語で帳尻を合はせた。
花さしの水も氷るとみる朝のひかりつめたき水仙の花
窓の内曇りも氷る札幌へ夜(よ)走る車はがねの道を
寝台特急北斗星のデッキで、扉の窓で見た。
しこしこと呼ぶ声きけばきさらぎや海はひすゐの玉の色かも
しこしこと伸びる春の芽睦月の陽虫鳥けものこのときを待つ
一首飛ばして
ひたすらに鳥の啼くなり春を浅み未だととのはぬのどふるはせて
雛が飛び道端へ降り物干しへかなり鳴き声親遅く来る
すずめの雛が道で飛べないときに、手助けしてはいけない。そのことを知らなかった小学生の時に、二階の物干しへ放してあげたところ、ピーピーとずっと鳴き続け、親鳥が来て無事飛び去った。危なかった。
よべ降りし雨にたひらにならされし庭土むげに踏むなとおもふ
雪が降り積もりし庭や道端を踏むと損なふ真(ま)白世の中
次は
餌をまけど寄らふともせず鳴きほけて声ほがらかやけさの雀は
餌やるも見向きもせずに動かずも暫く後に蛇は食ひつく
二月十七日(月)
土の色のありのままなる親しさよ降る春さめにくろぐろ濡れて
晴れの日は土が薄色雨は茶(さ)に水が淀むと黒々光る
次は
摘草にゆかなといふよをとめ子は春来とばかりはやときめきて
摘草に行くを幼な子繰り返す歳と春とになる此の頃か
二首飛ばして
見おろせば崎の端なすこのあたり海とひといろにかすみ匂へり
崎の端此処より前は広き海日が変はりても終はることなし
日が変はりても、は日付変更線の先も、の意味だが、一日中見ていても、と取る人も居ることだらう。一首飛ばして
嫁菜草生ふる真土のうすしめり居りつゝ摘めばかぐはしきかも
真土とは菜や実を採るに合ふ土に待乳山立つ隅田の畔
二首飛ばして
れんぎようの黄花の垣をめぐらして住みひそまりつこの家人は
母おもふ心をよびてれんぎようの黄の花垣根さりがてぬかも
れんぎようはもろこし及び韓(から)に咲く千(ち)年の前に大和へ来たる
れんぎようの垣根にあるか思ひ出が又は古家(や)が続くを示す
これで「創作」大正11年3月号を終へる。
二月十七日(月)その二
過去にみどりを特集したページから、歌を取り上げたい。まづは
ゆく汽車ゆ仰ぐに惜しき富士が根の大き姿は窓のま上に
黒鉄(がね)の車と共に走り来る窓に広がる大き富士の嶺
すぐ次の
山々はあとにつゞけと裾ひきて立ちそびえたる夕富士のやま
飛騨や木曽赤石などと異なりて富士は裾曳き独り立つ山
すぐ次の
老松の木立の道につぎつぎにみだれてきこゆ夕なみの音は
松並木駿河の湾(いりえ)木の間より見える富士の嶺聴こえる波音
すぐ次の
雨降ればなほなみの音のゆたけしやねむるに惜しき松原のやど
雨の日は遠くへ音が潮騒が枕に聴こえねむるに惜しく
二年半前に読んだときは、このあと六首続く。美しい歌が連続することを示したのだらう。今回は、これで終了としたい。(終)
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