二千六百五十五(朗詠のうた)本歌取り、良寛和尚(はちすの露)
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
二月十六日(日)
「はちすの露」は、古今調なので取り上げるのを止めよう。さう考へて「島崎草庵時代」まで終へた。「はちすの露」を読み返すと、古今調は最初の六首のみだ。とは云へ、貞心尼は選歌が古今調なのだらうか。既に「島崎草庵時代」などで取り上げた歌も多く、最初から十九首飛ばし
秋もややうら寂しくぞなりにける小笹にしげき雨の音聞けば

秋ややとうら寂しくは本(もと)歌の勝れところに和尚の調べ

三首飛ばした
岩室の田中に立てる一つ松の木 今日見れば時雨の雨に濡れつつ立てり 一つ松人にありせば笠貸さましを蓑着せましをひとつ松あはれ

よろづはに長き短き頭を旋(めぐ)る 短きに七音(ね)をつける奈良の碑(いしぶみ) 旋(めぐ)る歌七音(ね)をつけて田中に立てるひとつ松の木和尚が詠ふ

貞心尼は旋頭歌とし、解説は長歌とし、小生は旋頭歌に賛成。五七七 五七七 五七七七七なので、本歌取りもそれに合はせた。すぐ次の
往くさ来さ見れども飽かぬ岩室の田中に立てるひとつ松の木

往き帰り飽きぬの松は今枯れて新た他にも碑(いしぶみ)の横

明治の初めに枯れて今は二代目と云ふ記事を読んだ。それとは別に石碑の前にも松があり、こちらは周囲の田を耕地整理したため趣きに欠けるさうだ。
すぐ次の
もみぢ葉は散りすぐるとも谷川に影だに残せ秋の形見に

もみぢ葉と谷川影と秋形見いにしへ今の影引くを見る

アララギ派ではなくても、表面だけの心境に古今集を感じる。とは云へ、和尚の時代に古今と万葉の対立は無かった。古今調の歌を詠んでも問題は無い。しかしそれを選歌した貞心尼は、やはり古今調かな。七首飛ばして
今よりはふるさと人の音もあらじ峯にも尾にも雪のつもれば

雪積もりふるさと人と便り絶へ庵は外と隔てあの世に

次の二首は同じ内容なので飛ばし
柴の戸の冬のゆふべの淋しさをうき世の人にいかで知るべき

庵にて冬の夕暮れうき世とはへ隔つ或いは仏の世へと

八首飛ばして
夕ぐれの岡の松の木人ならば昔のことを問はましものを

夕暮の岡の碑志和尚と同じ百(もも)年前に

万元和尚の碑がある。天台宗の僧で大和の吉野出身。越後へ来て国上寺中興二世と親しくなり、本堂再建、洪鐘の鋳造に尽力。国上寺は五合庵を建てた。お墓には「久賀躬山五合庵開基祖慧海阿闍梨」とある。
八首飛ばして
長らへむことや思ひしかくばかり変はり果てぬる世とは知らずて

地(つち)が揺れ千(ち)越える人が死に絶へる和尚涙し大いに嘆く

二十首飛んだのち
淡雪の中にたちたる三千大千世界またその中に泡雪ぞ降る

淡雪の中に世があり雪が降る終はり無き世が回るを教へる
(終)

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