二千六百五十三(朗詠のうた)本歌取り、良寛和尚(島崎草庵時代)
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
二月十三日(木)
「島崎草庵時代」へ入り
うつしみの人の裏屋に宿借りてひと日ふた日と日を送りつつ
街中に移りてのちも小屋に住む三つの道を歩み続ける
すぐ次の
今朝はしもおし来る水のこほれるにこの里人も漕ぎぞわづらふ
底冷へに田への水まで凍り付き船は進まず白き息のみ
すぐ次の
この里は鴨着く島か冬されば往き来の道も舟ならずして
真冬には水嵩増して舟のほか行き来はできず凍り付きても
三首飛ばして
もたらしの園生の木の実珍しみ三(み)世(よ)の仏にはつ奉る
頂きの珍し木の実大切に三世の仏へ初奉る
本歌の「はつ」は「まづ」の誤用かと解説にあるので、「はつ」を有効化した。一首飛ばして
あしびきのみ山を出でてうつせみの人の裏やに住むとこそすれ
あしびきの仏と神の国上山降りて人の世街の裏屋へ
二月十四日(金)
五首飛ばして
大殿の森の下庵夜明くればからす鳴くなり朝清めせむ
寺泊お寺の森の下庵に夜明け坐ると朝清めせむ
七首飛ばして
この頃は早苗とるらしわが庵は形(かた)を絵にかき手向けこそすれ
庵には清く貧しくお供へを絵にかき仏其の前へ置く
八十二首飛ばし
虫の音も残り少なになりにけり夜な夜な風の寒くしなれば
虫の音も残り少なに次々と死ぬは夜ごとに風が冷たし
七首飛ばし
もろともに踊り明かしぬ秋の夜を身に病(いたづ)きのいるもしらずて
風は清し月はさやけしいざ共に踊り明かさむ老いの名残りに
和尚には老いて病の兆しあり踊り明かすの言葉は深し
二十一首飛ばし
里子らの吹(ふく)笛竹も憐(あはれ)聞(きく)もとより秋の調べなりせば
里子らの吹く笛の音は昔より続く宝と秋の調べに
七十二首飛ばすが、晩年の美を詠ふ歌が多い。小生に本歌取りの気運が無いだけで、本当は取り上げるべきだ。
亡き跡の記念(二文字で、かたみ)ともがな春は華夏如帰鳥秋は栬(もみぢ)葉
形見とて何残すらむ春は花夏ほととぎす秋はもみじ葉
亡き跡の記念(二文字で、かたみ)は唐(から)の詩(うた)と筆大和の歌と仏の心
形見とし三つの学び続けたと三つの庵住みしことかな
四首飛ばして
待たれにし身にしありせばいまよりはかにもかくに弥陀のまにまに
老いてのち止めると観るが出来ざればかにもかくに弥陀のまにまに
すぐ次の
極楽に我が父母はおはすらむ今日膝もと行くと思へば
家を出て三つの学び仏の子亡くなるときは父(ちち)母(はは)の元(終)
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