二千六百三十三(朗詠のうた)本歌取り、萬葉集巻第一、第二、第三
新春前甲辰(西洋発狂人歴2025)年
一月十九日(日)
巻第五から巻第九とは別の出版社だが、巻第一からを借りる事ができた。
大和には群山あれどとりよろふ天の香具山登り立ち国見をすれば国原は煙立ち立つ海原はかまめ立ち立つうまし国ぞ秋津洲(しま)大和の国は

田は広く海は魚多(さは)煙立つ大和豊けし森多き国

次は
白浪の浜松が枝(え)のたむけぐさ幾代までにか年の経ぬらむ

白浪の浜の松が枝(え)潮風が寄せるも千(ち)本(もと)沼津の海に

次は
いざ子ども早く日本へ大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむ

乗り人(と)ども窓より下は海越えて田は広がりて空の港へ

すぐ次の
葦(あし)辺(べ)行く鴨の羽がひに霜降りて寒き夕は大和し思ほゆ

鴨の群れ羽がひに水面見えなくも降る雪溶けて水尚ほ冷える

解説に、羽がひは本来左右の翼の背でうち交へた部分、とあるので群れを羽がひと表現した。
山辺(のべ)の御井を見がてり神風の伊勢娘子どもあひ見つるかも

神風の伊勢のそとうち風吹かず負けも八十(二文字で、やそ)年大和栄える


一月二十日(月)
巻第二へ入り
君が行き日(け)長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ

我が三(み)人(たり)外の国より帰り着き成田へ迎へ父母と会ふ

次は
玉かづら実成らぬ木にはちはやぶる神そ着くとふならぬ木ごとに

すべての木すべての山はちはやぶる神が住む家壊すは避けよ

次は
吉野川行く瀬の早みしましくも淀むことなくありこせぬかも

玉川は淀橋までを淀まずに務める生きる文書くも同じ

巻第二は相聞なので、素通りかと心配したが、序詞の歌があってよかった。
夕さらば潮満ち来なむ住吉の浅香の浦に玉藻刈りてな

夕さらば移りし頃にかうもりが舞ふもそののち消えて四十(よそ)年

本歌は、紀の皇女を思ふ御歌四首の一つなので、別の意味があるのだらう。
挽歌に入り、有馬の皇子など、盛り沢山ではあるが、本歌取りは遠慮したい。

一月二十一日(火)
巻第三へ入り
玉藻刈る敏(みぬ)馬(め)を過ぎて夏草の野島の埼に舟近づきぬ

玉藻刈る見沼を過ぎて利根の水分かれ西縁東縁行く

次は
もののふの八十宇治河の網(あ)代(じろ)木(ぎ)にいさよふ波の行方知らずも

冬の家暖め隅田みやこ鳥今うみねこやかわうも海へ

もののふの八十氏が宇治河を導くので、本歌取りも冬の家暖め炭で隅田を導いた。
近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ

家(いへ)庭(には)に朝鶏(にはとり)が時つくる今日も始まる告げる初声

次は
小(さざれ)浪磯巨(こ)勢(せ)道(ぢ)なる能登瀬川音のさやけさたぎつ瀬ごとに

小(さざれ)水 滾(たぎ)つ流れが消え二十(二文字で、はた)とひと年が過ぎ 汚きの水をきれいに戻すのち流してみても 玉川の土は崩れて止まることなし

反歌  一たびは水が途絶へて壁崩れ小(さざれ)水にて止まることなし
本歌取り反歌の「小(さざれ)水にて」は「小(さざれ)水では」のほうが意味を取りやすい。そのときの変化(今なら、万葉集を本歌取りの最中)で、意味より発音を重視した。
天地の分れし時ゆ神さびて高く貴き駿河なる富士の高嶺を天の原ふりさけ見れば渡る日の影も隠らひ照る月の光も見えず白雲もい行きはばかり時じくそ雪は降りける語り継ぎ言ひ継ぎ行かむ富士の高嶺は

反歌  田子の浦ゆうち出でて見れば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける
天地の分れに至る神さびて武蔵から見る富士の嶺 近くを見れば伊豆の海島は多(さは)あり箱根には地(つち)より煙立ち出でる熱海はお湯が海へ落ち語り継がなむ富士の高嶺は

反歌  歌枕今は所が異なりて田子村後に田子の浦村
二年前に田子の浦へ行く計画は中止になった。

一月二十二日(水)
憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれその母も我を待つらむぞ

白波の早く日本(二文字で、やまと)へ松は知る赤ら小舟に潜き逢はめやも

本歌取りは、総ての句が、万葉集に載る憶良の歌で最初の三首と最後の二首。云はなければ、普通の歌だと思ってしまふ。
このあと比喩歌の章へ入る。物に心を寄せて詠む。直接恋歌として読むよりは、比喩歌は上品でよい、との思ひで読み始めた。ところが本歌取りする段になって、心の中を直接詠はないのは偽りの心ではないか、との思ひが出て来た。
その次は挽歌。
家ならば妹が手まかむ草枕旅に臥(こや)せる旅人あはれ

今ならば乗り合ひ鋼(はがね)歩かずに旅に亡くなる人稀にして

次は
百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ

百伝ふいつまで狂ふ人たちかこの星すぐに雲隠りなむ

次は
風速の美穂の浦みの白つつじ見れどもさぶし亡き人思へば

風速の美保は清水の松原に千(ち)本(もと)は沼津牧水偲ぶ

次に巻第四へ入るが、相聞なので特に取り上げる歌は無かった。(終)

「和歌論」(二百二十六)へ 「和歌論」(二百二十八)へ

メニューへ戻る うた(一千百七十二の二)へ うた(一千百七十四)へ