二千六百三十一(朗詠のうた)本歌取り、萬葉集巻第八、第九
新春前甲辰(西洋発狂人歴2025)年
一月十七日(金)
巻第八へ入り
石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも
垂水には神戸と薩摩地(つち)の名に垂井は美濃の大垣近く
巻第八は、古今風かな。それは花の美しさを読んでばかりゐる。次は春相聞を飛ばし、夏雑歌に入り
神なびの石(いは)瀬の杜(もり)のほととぎす毛無(なし)の岡にいつか来鳴かむ
ほととぎす此の世後の世行き来する次いつ来るか神なびの杜(もり)
夏相聞を飛ばし、秋雑歌に入り
味(うま)酒三輪の社(やしろ)の山照らす秋の黄葉の散らまく惜しも
味(うま)酒は三輪に限らず秋津洲大和すべての社(もり)をも照らす
秋相聞を一通りすべて見たが心に残る歌は無く、冬雑歌に入り
大口の真神の原に降る雪はいたくな降りそ家もあらなくに
大口を発ちて行き着く 大宰府の天満宮や金刀比羅や出雲大社は真神の社
反歌
大口を発ちて夜(よ)走り寝る車横浜に乗り南へ西へ
新婚で鶴見区へ引っ越したときに、寝台特急の旅行は大口から乗降した。冬相聞も一通り読み、巻第八を終了する。
一月十八日(土)
巻第九へ入り
白崎は幸くあり待て大船にま楫(かぢ)しじ貫きまたかへり見む
雪景色消えず残るか旅に出て急ぎ済ませて戻る時まで
次は
湯良の崎潮干にけらし白神の磯の浦みをあへて漕ぐなり
白神は紀伊に元ある地(つち)の名も 今は奥羽の山並みと しらなみと読み浜松の北
反旋頭歌
潮干付く言葉は今や潮干狩りのみ 白神(かみ)は今や奥羽の山と山並み
萬葉集の特長である地名の美しさが、巻第九で復活した。
風(かざ)莫(なし)の浜の白波いたづらにここに寄せ来る見る人なしに
白波を見る人無しは人見えぬ静かな浜に光溢れる
この本の解説に、景色を共に楽しむ妻がゐないことを嘆く歌とあるが、それは違ふだらう。
背の山に黄葉常(つね)敷く神(かむ)岳(をか)の山の黄葉は今日か散るらむ
この歌は、背の山は一句に収まるのに、神岳の山は二句にまたがる。この非対象は、アララギ派なら批判対象だらう。添削すると
神岳の山の黄葉は今日散るか背の山にては黄葉常敷く
これなら許容範囲だ。ここからが本歌取りで
低き丘黄葉今日散る高き山雪が常敷く冬既に入(い)る
本歌はこの辺り、地名と枕詞と古語の美しさ。
率(あども)ひて漕ぎ去(い)にし舟は高島の安(あ)曇(ど)の港に泊(は)てにけむかも
率(あども)ひて安(あ)曇(ど)とよく似た安(あ)曇(づみ)には槍や穂高や白馬連なる
場所が離れすぎるので、本物の安(あ)曇(ど)を使ふと
率(あども)ひて安(あ)曇(ど)川下り高島に琵琶湖へ流れ湖(うみ)を潤す
一月十九日(日)
馬並めてうち群れ越え来今見つる吉野の川をいつかへり見む
本の歌吉野の川とある故に 南と北の争ひに思ひを馳せてこの歌と為す
反歌
馬並べ吉野を出でて戦あり後の戻りに並ぶや数は
次は
見まく欲(ほ)り来(こ)しくも著(しる)く吉野川音のさやけさ見るにともしく
見まく欲りいにしへ歌が今の世へ吉野の川は河原白波
此の辺りの本歌、気掛かりは生活を離れ貴族的。古今集への過渡期か。次は貴族的を抜けて、長歌と反歌の組が続いた後に
埼(さき)玉の小(を)埼の沼に鴨ぞ翼(はね)きる 己が尾に降り置ける霜を掃ふとにあらし
埼(さき)玉の小(を)埼は忍(おし)か岩槻か羽生もありて 分からずも後に忍には碑(いしぶみ)があり
旋頭歌
さいたま市足立ごほりの三つの市にて 埼玉県浦和岩槻忍(おし)が合はさる
反歌
熊谷県旧入間県取り出して埼玉県と新た合はさる
反歌
さいたま市後に埼玉岩槻を併せ東は埼玉こほり
最初は、さいたま市が足立郡の三つの市と云はうとしたのに、調べるうちに複雑化した。
今日の日にいかにかしかむ筑波嶺に昔の人の来けむその日も
二(ふた)並ぶ筑波の山はひこ神とひめ神坐(おは)し夏の陽が射す
本歌取りは、本歌を反歌とする長歌の解説。
筑波嶺の裾廻の田居に秋田刈る妹がり遣らむ黄葉手折らな
新治の鳥羽の淡(あふ)海(み)も師(し)付(つく)の田筑波嶺見れば黄葉広がる
今回も長歌の解説。奈良や近江ばかりではなく、筑波の地名も美しい。地名は枕詞と並ぶ美しい言葉だ。
次は相聞に入り、ここも美しい歌が多い。当時と今は事情が異なるので、取り上げない。かつて明治期に、恋愛事件を起こしたアララギ関係者が多かったのは、万葉時代と明治期の違ひを考へなかったためか。
その次の挽歌も省いた。歌に詠まれた言葉は、当時の言葉だらうか。作るとき既に古語だったか、作った時は流通する語が語り継がれるうちに古語になったか。地名や枕詞と並び、古語も美しい。そして、相聞と挽歌は冠婚葬祭の一環として、美しい。(終)
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