二千六百三十四(朗詠のうた)行動日記(デイサービス閉所、眼鏡なし外出、左目手術、膝折れ)
新春前甲辰(西洋発狂人歴2025)年
一月十八日(土)
母が一昨日に退院し、昨日は休んで本日からデイサービスへ行くやうになった。ところが帰宅時に、デイサービスが閉所すると発表になった。
新型コロナ以降、通所者が激減した。その後、多少は増えたものの、三月末で閉所となった。ここのデイサービスは母が気に入ってゐたので、残念だった。
六日行く母気に入りの建物が六(む)十(そ)と一つで閉じるに驚く
一月十九日(日)
小生は一昨日の通院で、洗顔と洗髪が出来て、家の中ではゴーグルをしなくてよいことになった。本日は、公民館の資源再利用箱へ小型家電を入れに行った。そのあと図書館へ行き、予約中の書籍を借りた。眼鏡なしで道を歩くのは四十五年ぶりだ。
尤も、外出の時はゴーグルが必要だったことに気付いた。風が無いしすぐ近くなので、まあ大丈夫だった。
めがね無し道を歩くは四(よ)十(そ)あまり五つの年を隔てた後に
一月二十二日(水)
昨朝は左目の手術を受けた。院長先生は、下の子と同じ大学出身で医学部、下の子は教育学部だ。二回目なので、心電図、脈拍の計測器を付けたことが頭に入った。あと、超音波で砕くときにかすかに高音がした。
手術が終了し、帰宅後に上の子へ訊いたところ、動物は基本全身麻酔なので、心電図と脈拍は付けるさうだ。一回目のときは、これから目に穴を開けるのか嫌だなあ、と思った途端、はい、これで終了しました、と云はれた。そのため内容はほとんど頭に入らなかった。
夕方に左と右の眼が戻る 家の中ならめがね無し 二十(二文字で、はた)歳(ち)のころの気持ちに還る
反歌
よく見える眼は口ほどに物を云ひ眼は頭ほどに考へもする
昨日の昼過ぎまでは、左の眼がぼやけた。そのあとよくなった。
一月二十五日(土)
昨日は、妻が仕事で、小生は休みだった。午後に母を迎へるときに、その前日の経験から、門扉を入ったところで母を引き継いだ。このまま玄関入って部屋まで連れて行けばよい。入院後期のリハビリで、脚力が骨折前くらいまで回復したからだ。
ところが足に力が入らず、膝折れになった。そうっと軟着陸なので怪我はない。しかし立たせるにはかなりの力が要る。小生と、デイサービスの介護責任者の女性は、剛力組で、一人にて立たせることが可能だ。妻など、その他の人たちは普通組で、複数にて立たせる。
ところが小生は眼の手術を受けて三日目だ。力を出すことは禁物だ。仕方が無いので、座らせたまま移動させ、和室へ連れて行った。暖房をいつもより高温にした。昨日は妻の帰宅が遅い。小生と母は遅めに食事を取った。母はお盆を使った。妻が帰宅し、無事立たせてベッドへ寝かせることができた。
本日も妻は出掛けたが、デイサービスの人と二人で玄関内まで連れて行ったので大丈夫だった。
いつもなら出来ることでも術(わざ)を眼に立たせられずに信じ過ぎにて(終)
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