二千六百三十(うた)駄目な記事は本質が無い(橋爪大三郎、峯村健司対談)
新春前甲辰(西洋発狂人歴2025)年
一月十七日(金)
(前から)駄目な記事は本質が無い。その典型が橋爪大三郎、峯村健司対談である。マネーポストのホームページに
【政敵がことごとく失脚】中国・習近平主席の「反腐敗キャンペーン」の本質 毛沢東の「文化大革命」と同じく「実態は権力闘争」との指摘

が載った。
橋爪:文化大革命のころに問題とされたのは、党の幹部たちの「特権」でした。
特権はたしかにあったと思います。まず、党の幹部は、経済的に豊かである。食糧や衣料品、住宅、居住地域からして一般の人びととは違う。その子どもは幹部専用の保育園に通えたりしました。革命初期は、現物給付の世界です。配給の待遇が違うのです。
そうすると、共産党の幹部は、革命のために幹部をやっているのか、共産党幹部にだけ許された特権目当てで幹部をやっているのか、だんだん区別がつかなくなります。
どうも毛沢東は、そういう幹部を毛嫌いし、憎んでいた。資本主義が復活している。自分のことは棚に上げてね。だから紅衛兵をけしかけて打倒したのだと思います。

「毛沢東は、そういう幹部を毛嫌いし」は、毛沢東が正しい。「自分のことは棚に上げてね」は、毛沢東が悪い。なぜ自分のことを棚に上げるやうになったかを調べるのが、本質だ。これなら世の中の役に立つ。ところが橋爪は、表面の現象を羅列するに留まった。それは、反中、或いはアメリカ式秩序の範囲内での中国に賛成だからだ。
峯村:文化大革命を「党の分裂」とみると、習近平の権力闘争と似ているところがあります。習近平の場合、打倒したい幹部がいたら、その理由に使われるのは「汚職」です。
橋爪:汚職の場合、紅衛兵の代わりに活躍するのは、党の紀律検査委員会などの秘密警察組織ですね。この委員会は、党中央にあり、省や市にも張り巡らされています。(中略)中央紀律検査委員会の元締めである習近平がその気になれば、恣意的に誰でもつかまえて違反を問い、政治生命を絶つことができる。

さうさせないために、中央委員会や政治局や常務委員がゐるのではないのか。或いは中央紀律検査委員会の元締めは、総書記以外にすればいいのではないか。これが本質である。
日本でも、似た事をやった人間がゐた。まづはJR東海の葛西で、警察OBを大量に採用した。葛西と関係が深い安倍は、黒川を検事総長にしようとやっきになり、日本の芸能界を二分する騒ぎになった。 次は
中国・習近平主席が一家もろとも辛酸を舐めさせられた「文化大革命」のトラウマ 当時の中国人が毛沢東に抱いた「尊敬と畏怖」の背景

に入り
峯村:最近、学会などでよく指摘されることに、「習近平が第二の文革をやろうとしている」という見方があります。しかし、そうした議論で抜けていると思うのは、文革時代に青年期を過ごした人びとの「毛沢東観」です。彼らに毛沢東について尋ねると、尊敬と恐怖が入り交じった感情を抱いていることがうかがえます。

まづ、個人崇拝は絶対に失敗する。勝れた人には、分野と、努力の成果がある。毛沢東は、軍事戦略に強かった。これが分野なのに、政治に広げたので失敗した。努力の成果では、長征など失敗を克服して内戦に勝利したのに、努力を忘れた。
国防相の林彪が、毛語録を作ったのは軍事戦略についてだから、ここまではよかった。それなのに大衆運動に広げてしまった。
これらが本質なのに、橋爪と峯村は、そこまで到達できなかった。あと二つ、本質の論点がある。まづ、権威と権力は分離させないと、大変なことになる。
毛沢東の暴走は、ここから起きた。同じ事が日本にもある。アメリカのすることは何でも正しいと思ひ込んでしまった人たちがゐる。これは権威である。だから安倍みたいに、トランプが大統領のときはトランプになびき、バイデンが大統領のときはLGBTだと騒いだ。
日本のマスコミは、多くがアメリカの洗脳下にある。だから新聞やテレビに影響して、選挙で投票すると、権力もアメリカの支配下となる。ここで、権威と権力が統合してしまった。
二つ目は、権力は腐敗する。腐敗させないために、労働起源説があるのではないか。これが有効にならないのは、毛沢東ではなく、スターリンやレーニンにまで遡らなくてはならない。そしてそこまで遡ると、帝国主義と二つの世界大戦や、孫文がなぜソ連になびいたのかまで言及しなくてはいけなくなる。
橋爪と峯村の議論は、「トラウマ」だとか低級な議論に留まった。トラウマかライオン豚かは、本質とは無関係だ。
本質を見ない主張はトラウマかライオン豚に留まり無益
(終)
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