千四百三十 野生の鯉と中央排水路
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
四月二十日(月)
昼休みに、蕨との市境を流れる排水路まで往復した。運動不足解消のため、朝食後、勤務終了後のほかに、昼休みも歩くことにした。排水路は、珍しく流れがあった。流れがあるのは昭和55年辺りから見たことがない。この日は小雨だったので、雨が原因だと判断した。
数分後、鯉が数匹ゐることに気付いた。遠距離用の眼鏡を持たなかったので、よくは見えなかった。この時点で、流れは見沼代用水西縁辻用水からのものではと思ひ始めた。
かつては、一年中安定した水量があった。そのときは何とも思はなかったが、一昨年に実家に戻ったあと、一年のほとんどを辻用水に流れ込む不思議な流れの本流だと判った。田植ゑの時期は見沼代用水西縁を大量の水が流れ、下流の辻用水にも流れ、余水は不思議な流れに向かふ。不思議な流れは余水吐の役割を果たした。そしてそれ以外の時季は、不思議な流れの上流から来た水が辻用水下流に流れ、更に辻用水を上流に逆流し川口市大字小谷場の元西福寺前分水口から新曾用水に流れた。
不思議な流れの水源は長いこと不明だったが、数年前に南浦和団地の汚水処理場の水ではないかと気付いた。そして不思議な流れの下流が暗渠となり国道17号の脇で地上に顔を出し、今はここから先を文蔵川と名乗ることは、外郭環状道路の建設の始まる前の航空写真で、一昨年に確認が取れた。
今回、排水路に水量があり、しかも鯉がゐることから、辻用水の余水が今でも暗渠で流れ込み、見沼代用水西縁の上流から鯉が来たのではないかと想像した。
四月二十一日(火)
本日は晴天なので、もし排水路に流れがあれば、これは辻用水のものだ。さう思って昼休みに出掛けた。そして流れのあることを確認した。本日は遠距離用の眼鏡を持ったので、川をよく見ると、鯉が10数匹ゐる。川は流れがあるものの、油の浮いたところもある。鯉が棲息できるのか心配だ。
下流に向かふと、途中に二匹ゐた。その下流に笹目用水からの落下水がある。かつて笹目用水は下流まで続いたが、田んぼがなくなったため、途中で排水路に落下するやうになった。滝のやうに上から合流する水の上流に四匹ゐて、見てゐると二匹が下流に移動した。この時点で、この二匹こそ養魚場から流れてきた魚群の最先端だと思った。
その下流に説明板がある。それによると、笹目川の鯉が産卵のため文蔵川を登るとのことだった。説明板の少し下流には十数匹がゐた。養魚場から流れてきたのなら、餌がなく水は汚く長生きはできないだらう。しかし笹目川の鯉が登ってきたのなら、今後も子孫が長生きするだらう。
家に帰りインターネットで調べると、鯉は汚水や寒さに強く、長生きする。これで安心した。
四月二十二日(水)
一昨日と昨日は、排水路が地上に出る位置から数十メートル下流のマンション横に七匹くらいの鯉がゐた。
あとは、ずっと下流の用水落下点の上流側に数匹がゐた。
本日は、国道17号から少し下流の排水路が直角近く曲がるところに四匹ゐた。小学校の横に多数ゐる。あとは中央排水路まで鯉はゐなかった。水深が浅いせいもある。
中央排水路の水は黄緑と灰色を混ぜた色だが、ところどころに鯉がゐる。数匹の鯉の群れに赤色の鯉が一匹混じるのを見たが、帰りに探しても群れごとゐなかった。
四月二十三日(木)
小学校近くの排水路のフェンスに見沼代用水と排水路と鯉についての詳細な説明が提示してある。
一つ不明なことがあった。五十年前からの風物詩だと云ふ。さっそく浦和郷土文化会会員一ノ瀬昌純さんにお会ひした。以下のお話を伺った。
この辺りは浸水がひどかった。中央排水路が造られ、昭和15年にこの排水路も造られた。
家の両側に用水路があった。50年前に、近所の子供たちが鯉に餌をやるやうになり、毎年鯉が来る。
ホンドタヌキが昔はたくさんゐた。今でも少し先の雑木林にゐる。
昨年の台風では、排水路の上数十cmまで水が来た。50ミリの雨まで大丈夫なやうに設計。
五十年前から、とあるのでその訳を訊くと、用水路の一つが排水路に合流した。
(中央排水路が汚かった時代にも鯉は来たかの質問に)荒川から来るので来た。
50年前に用水が排水路に合流したと云ふのは、一ノ瀬さんの記憶違ひかも知れない。昭和37年に南浦和団地の建設が始まり、排水路に安定した水量ができたのはその二年後くらいか。荒川左岸流域下水道が完成して南浦和団地の下水処理場が廃止になったのが昭和60年頃(不確実)で、この前後に用水路の一つが排水路に合流したのではないかと想像してゐる。
四月二十四日(金)
昨日と本日とも、排水路の鯉は用水が落下し合流する地点が上限になった。中央排水路は、最上流まで往復してみた。左岸から水が落下するところに鯉が数匹たむろする。周囲は酸素不足なのか。右岸の水門の下と思はれるところから排水の合流があり、あぶくがたくさん浮かぶ。しかし鯉は多数集まる。ここも水不足か。その下流で左岸から水が少量したたり落ちるところは、多数の中規模の石を金網で固定し、これでは魚は往来できない。石の上に鯉の死体が二つあった。
四月二十五日(土)
たまたま南浦和に行く用事があり、帰りに南浦和団地の下水処理場のあった位置と、東北線の線路を挟んだ反対側に自転車で行った。やはり数十年前と同じ水音がする。あのときは、辻用水にも流れた水流が下水管に落ちる音と思った。その後、長い年月を経過し、排水路はこの流れの下流だと判った。
しかし水の落ちる音を聞いて、今でもあの水流ではないかと再び思へて来た。家に帰り未処理の下水が幹線に落ちる音ではないかと思った。この考へをこれまで妨げたのは、かつて鉄橋と道路の間に間隙があった。生下水が流れるとは思はなかった。今回は音だけで、間隙はなかった。(終)
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