二千五百九十一(朗詠のうた)行動日記(スマホ、電話機、干し柿、母の足)
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
十二月十三日(金)
デイサービスから帰宅時は妻が対応し、母の足が立たなくなり明日から車椅子で迎えに来ると云はれた。小生の携帯に何回か電話があり、着信記録はあるのに鳴らなかった。マナーモードにはなってゐないし、その場合も振動するから分かる筈だ。携帯電話を再起動した。
日曜に親戚から干し柿を頂いた。庭の柿は少し渋柿が混じるが、どれかは分からない。そこで、干し柿にするさうだ。生活の知恵である。本日で食べ終へた。
十二月十四日(土)
母が立てず、デイサービスは休んだと妻から連絡があった。最近、ときどき足が立たず膝折れになるが、昨日からそれが普通になった。
せっかく骨折が治り、歩くことに関しては怪我の前まで復帰し、唯一残った立ち上がることも数日前には元に戻ったのに、三日天下に終はった。
十二月十六日(月)
本日は小生が母を送り出したので、座れる歩行器に座らせて廊下まで行き、デイサービスの車椅子に座り替へて無事行った。
先週木曜に電話機が故障した。母宛に来たお歳暮のお礼電話に母を出すため、電話機を引っ張ったら電源コードが断線したらしい。この電話機は二十年以上使用し、子機の充電池が劣化したので、買ひ替へる予定だった。母が一人で歩けた最後になった。
同じく二十年以上使用する髭剃り器と併せて買ひに行ったところ、電話機は取り寄せになり年内入るか分からないと云ふ。そのため、髭剃り器のみを買った。
昼食後、蕨か川口か赤羽で買はうと電車内でスマホを調べると、赤羽がよささうだ。無事、電話機を購入できた。帰宅後に、母の帰りを待ち、座れる歩行器に乗せて、居間まで来た。
木金土月と、多忙な毎日だった。
母の足怪我の前まで戻りたと 喜びの間も僅かにてまた歩けずに心休まず
反歌
携帯と家の電話と母の足次々起きる波乗り越える
十二月十八日(水)
母を整形外科へ連れて行った。軟骨がすり減って、膝頭が骨に当たり腫れたさうだ。湿布薬と塗り薬と飲み薬を処方してもらった。医療関係者は母を覚えてゐた。或いは患者の中で、最高齢か。
歩行器の座席機能に座らせて整形外科に通院は 骨折の時十八度しかし今では寒さが沁みる
反歌
軟骨のすり減りと聞き安心も元へ戻らず落胆もあり(終)
行動日記(百二十二)へ
行動日記(百二十四)へ
メニューへ戻る
うた(一千百三十)へ
うた(一千百三十二)へ