二千五百十三(うた)高崎旅行記
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
十月十四日(月)
今月の中旅行(日帰り旅行)は、高崎へ行った。ジパング切符は米原で買った。本日は偶然、『鉄道の日×高崎駅開業 140 周年』と重なった。今回の目的は、SL(またはEL、DL)牽引の客車を見に行くことだった。そのあと、高崎城址と高崎市役所の展望台を見ようと計画を立てた。だから、混むのは嫌だなあと、最初は思った。
浦和から大宮までは、一本早い東北本線に乗った。かなり空いてゐたのに、大宮で乗り替へた高崎線はほぼ満席だ。籠原で先頭の五両を切り離し前側から人が歩いて来た上に、休日は篭原止まりの快速を待ち、更に人が乗った。そして高崎へ到着した。
暫くして、先頭がEL、最後尾がSLの従来客車列車が入線した。操車担当はELの前面で無線を使用。SLの一つ前はオハニ36(半分荷物室)だった。荷物室最後尾で、車掌が扉扱ひや車内放送を行った。客車は、支社名と常備駅名を片側しか書かなくなった。だから先頭車は側面に書いてない(向きが逆だから)。お手洗ひはあるが、洗面所は無くなった。中間車にも車掌室があるが、使はないやうだ。
駅長の制服を着た人が三人いて、一人づつ発車合図の写真を撮ってゐた。実際の発車時は、支社関係者など五人ほどで発車合図をした。助役に、機関車を誘導する係は国鉄末期に運転係(操車担当)だったが、今はどう呼ぶのかを訊いたら、やはり操車担当ださうだ。
『鉄道の日×高崎駅開業 140 周年』は見ない予定だったが、客車の留置線でも行ふことを知り、駅前のテントを横目に留置線へ向かった。体験コーナーなどをやってゐたが、目当ては客車区を見る事だった。と云っても検修庫の扉は閉まり、留置線へは有料の撮影を申し込まないと行けない。SL、EL、DLの三編成が並列に留まってゐることは、往路の車内から見えた。検修庫の手前の空き地ではいろいろな催し物があった。検修庫が一線だけなことが分かっただけでも収穫だった。検修庫二階の会議室はゲームコーナーなので、会議室は行くだけ行った。
検修庫を空き地から(ダブルクリックで拡大。線路からは扉が閉まってゐるので撮らなかった)
高崎は 新幹線の新設でホーム並行東側 客車区及び留置線 移動の先が南側 だが電車化でイベントの客車十両小さな世帯
反歌
駅構内新幹線で配線が乱れた直後電車化の波
反歌
まづ貨物分解組成が廃止され旅客小型化増発となる
「たかさきし」の五文字を先頭に付け、歌を詠むと
高き峰重なる姿先に見て客車区は移動新幹線に (鉄道に詳しい人向け)
高き峰重なる姿先に見て旧車庫は今新幹線に (一般の人向け)
(続編へ)
そのあと高崎駅へ戻り、高崎城址へ向かった。無料自転車がある。百円を入れて鍵を外し、何ヶ所かの自転車置き場へ帰すときチェーンを付けると百円が戻る。城址公園とその奥の陸橋で国道を超え、戻り市役所へ入った。ここの二十一階は無了展望台があり、休日も入場できる。榛名山、赤城山などが見えた。
これまで高崎市には、悪い印象を持ってきた。それはだるま市を市中心部で行ふことについて「根拠として約190年前、市内の田町で初市が行われたという資料を発見した」と、強引な論法を用ゐたためだ。これを云はなければ、分裂は仕方がない。しかし云った以上、市役所側は正しくない。それを今回の無料自転車と二十一階無料展望台で見直した。
高崎と云へば、白衣観音が有名だ。行ってみたい気持ちはある。しかしバスの本数が一日八本で少ない。
高崎は 白衣観音遠くからよく見える故有名も 十二年後に百年目寿命が迫り建て替へかまたは新たな仏塔となる
反歌
観音は寿命ある故仏塔になると予想は未来の為に
反歌
観音を見慣れた故に再建をするに要する多額の資金
(ここから閲覧注意)今回使用したジパング切符は、JR西日本の米原駅で購入した。経由を新幹線と云はなかったため、途中下車ができない切符になってしまった。東京近郊区間が異常に拡大し、区間内は途中下車できない。しかし新幹線を使ふと、途中下車ができる。
大宮駅開札内みどりの窓口で、新幹線の特急券を購入し、乗車券を途中下車できるものに経由変更してもらはうと考へたが、旅行開始後のため、変更は入出金を伴ふ。金額が一般的に高くなる上に、Viewカードで購入したから返金はJR西日本の窓口でしかできない。
乗車前に変更すれば入出金は無いが、ジパング倶楽部手帳のスタンプ番号変化が目的で、南浦和の話せる券売機は何回か使った。そもそも話せる券売機は、どこの駅でも番号が同じだ。と云ふことで、今回は在来線を使ひ往復二千七百七十円で済んだ。中旅行は、今まで五千円強だから、ずいぶん安く済んだ。(終)
(10.15追記)検修庫は、定期列車があった時代は三線くらいあったが、その後に一線にしたのだらう。手前の空地は、昔の検修庫跡だ。
昔からの客車区とは形態が異なるが、一両づつ検修庫へ入れるところは昔のやり方だ。尾久では、カシオペアを中間で切り離して六両づつ入れる。
もう一つ形態が異なるのは、高崎の検修庫は架線がある。何年か前に、機関車のパンタグラフの点検はここで行ふ記事を読んだことがある。ELは間もなく廃止になる。機関車はJR貨物に委託すればよいのだが、業務用気動車を使ふらしい。
(10.16追記)一番目長歌の二番目反歌は「分解組成が」に変更した。それまで貨物は、操車場で分解組成を繰り返し、全国どこの駅にも発送出来た。当時は、旅客列車と貨物列車の本数は、それほど差がなかった。しかし1984年に分解組成を廃止したため、貨物列車は激減した。余った線路を使って、旅客列車を短い編成にして増発した。
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