二千五百三(朗詠のうた)下の子の婚姻届けに署名
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
十月四日(金)
本日は、下の子の婚姻届けに署名した。下の子とお嫁さんは大学が新潟、下の子の仕事は富山(在宅勤務で首都圏)、お嫁さんの出身は福井、我が家の先祖は滋賀、と北陸本線に沿って繋がる。
米原で降りて彦根と守山へ 滋賀への旅はこの度のお祝ひ事が呼び水となる

反歌  新潟と富山と福井滋賀までを我が家の縁一つに結ぶ
ご両親が福井から来られたので、亡き父が旧制中学のときに調べた資料をお見せした。滋賀は福井の隣県である。先月の旅行は行き先が決まらずほぼ中止だったが、急遽滋賀県に決めたのは、それがきっかけだった。
滋賀県は、大津を除いて行ったことが無い。大津は山科から近いので、何となくたくさん滋賀県に行った気分だったが、よく考へると大津だけだった。或いは大津が広すぎて、石山も比叡山の麓も大津市内だ。
今までに大津以外で唯一車内から見たのが、琵琶湖大橋だった。中学の修学旅行は京都だった。丁度万博のときだったので、バス会社が強気になって短距離だと受け付けず、わざわざ米原で降りて琵琶湖大橋を渡った。

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(付録)ここまで1934バイトのため、北陸新幹線の話を追加すると、米原か山科で東海道新幹線と接続すべきだ。それが出来ないのは、東海道新幹線は新大阪までJR東海だからだ。米原経由にすると、東京からの旅行者は多くが米原経由を選択する。JR西日本にとり、上越妙高から敦賀までが減収になる。それを理由に反対してゐるだけだ。
解決法は、米原(または京都)と新大阪をJR西日本へ移管すればよい。滋賀県が反対するのは、負担金と第三セクター。これを防ぐには、滋賀県内に駅を作らない代はりに負担金は無し。一層の事、山科接続にして湖西線の北側は、新幹線に在来線に該当する途中駅を作って通勤通学車両を走らせたらどうか。南側は在来線を残し通勤客で採算を合はせる。北側で、新幹線と在来線の駅が離れるのは、地元でバスを運行すべきだ。
福井県内の反対は、福井県内で解決すべきだ。敦賀は旧若狭ではないが、今は嶺南だ。嶺北と敦賀が関西や名古屋と繋がって便利になれば、新たに発生する利益の一部を、旧若狭に回すことは可能だ。
北陸道 新幹線は米原か山科がよい繋がるに 東海道に出会ひと別れ

反歌  東京と名古屋は米原関西は山科が良いまだ決まらずも
北陸新幹線は米原へ3
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十月七日(月)
先ほど、入籍してきたと連絡が入った。
此の時が親子ともども喜びの我が事晴れの日に思ひ出す

三十一年前、文京区役所に婚姻届けを出しに行ったことを思ひ出した。(終)

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