二千五百二(朗詠のうた)良寛和尚の歌を鑑賞(布留散東と久賀美を再度)
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
十月五日(土)
布留散東と久賀美を再度鑑賞した。
布留散東と久賀美は和尚自らが選ぶ歌にて 幾たびか読むも飽きずに復た繰り返す
反歌
読むうちによろづは調べ親しみて貪りが無い素直な心
前回は布留散東を、前半と後半に分けたが、後半の最後の部分は、再び前半の調べに戻る。「定本 良寛全集第二巻」の通し番号では、53と57以降である。53は
たが里に 旅寝しつらむ ぬばたまの 夜半(の)嵐のうたて寒きに
57は
岩室の 野中に立てる 一つ松の木 けふ見れば 時雨の雨に 濡れつつ立てり
久賀美は、68、69を除き万葉調である。68は長歌、69は反歌である。
行く水は 堰(せ)けば止まるを 高山は こぼてば岡と なるものを 過ぎし月日の 返るとは 文にも見えず うつせみの 人も語らず いにしへも かくしあるらし いまの世も かくぞありける 後の世も かくこそあるらめ かにかくに すべなきものは 老いにぞありける
反歌
うたてしき ものにもあるか 年月は 山の奥(ま)で 尋(と)めて来にけり
どちらも老いを嘆くもので、万葉調とは異なる。
四つある苦しみのうち一つにて 老いるを避ける人知らず 老いは楽しく迎へて生きる
反歌
老いるとは楽しみのうち老い無くば同じ月日をただ繰り返す
解良家横巻と阿部家横巻を飛ばして、木村家横巻で329以降は、阿弥陀仏に言及したものが六つある。329は
かにかくに ものな思いそ 弥陀仏の 本の誓い(の) あるにまかせて
老齢で耄碌か。前回は大地震としたが、これらの歌は自身との関係を詠ったから、老齢が原因だらう。
(付録)ここまで3071バイトなので、「はちすの露 本篇」の465を取り上げたい。
淡雪の 中に立てたる 三千大千世界(五文字で、みちおほち) またその中に 泡雪ぞ降る
淡雪は美しい世界だ。だからその中に三千大千世界を見た。するとそこには春夏秋冬があり泡雪も降る。淡雪は僅かな雪だから、中の三千大千世界は消えやすい。そしてその中の泡雪は、柔らかい雪だ。
みちおほち教へだんだん難しく だがその中に美しさ泡の如きの柔らかさあり
反歌
淡き雪みちおほちありその中に柔らかき雪泡の雪あり(終)
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