二千五百一(朗詠のうた)歳とともに、冷めやすくなったか
甲辰(西洋未開人歴2024)年
十月四日(金)
最近熱意を持つものとして、歌、良寛和尚、ジパング倶楽部、上野動物園年間パスポート、地域寄席梶原いろは亭と浪曲、ミャンマー寺院がある。
ずいぶん沢山あるが、年齢とともに冷めやすくなったのは否めない。歌は毎日作るが、歌論は暫く空き、昔の歌詠みの作品を鑑賞することが少なくなった。最近良寛和尚の歌を取り上げたのは、暫くぶりであった。
良寛和尚自体は最近まで続いたが、そろそろ取り上げることが無くなったか、との思ひはある。渡航説に賛成した飯田利行さんへの、偏った書籍を目にしたため、飯田さんに加勢した意味合ひが濃い。
ジパング倶楽部は、六月五日に真鶴へ行ってから三ヶ月半空いた。今回は旅行が中止になるかのぎりぎりで、滋賀県に決めた。
上野動物園は、六月の旅行点数(小旅行1点、中旅行2点、大旅行4点)が5点止まりになりさうだ。これまでは一月8点、二月7点、三月8点、四月14点、5月18点(計算方法を滋賀県旅行のあと変更。以前は20点。一泊はそれまで大旅行二日だったものを、大旅行と中旅行一日づつにした)だった。点数をつけること自体、六月を今までと比較する為にこのとき始めたのだが、急遽上野動物園へ行くことにした。
いろは亭は四月に会員になってから、七月までに六回入場した。その後は二ヶ月空いたが先月は女流浪曲師三人を観に行く筈だった。予定が入り行けなかった。
ミャンマー経典学習会は、新型コロナ騒ぎで四年半空き、先月再開した。
冷めやすくなるかならぬか歳を取る六つの好み用ゐ調べる


十月五日(土)
歌は、西行を調べることにした。
良寛和尚は、「草堂集貫華」を調べたい。
ジパング倶楽部は、今月も出掛ける。米原で購入した乗車券である。
上野動物園は、涼しくなったのでまた出掛けたい。しかし上野動物園を調べるきっかけは、本園と水上動物園の間にかつては都電が走り、「上野動物園前」停留所の門は何かと、花園町に面した本園の門は何かを調べることだった。答へは、東照宮門と裏門だった。
次に動物園内を流れる千川上水を調べることだが、これも終了した。あとは、ときどき来て楽しみたい。
梶原いろは亭と浪曲は、そろそろ飽きてきたが、楽しい企画のときに参加をしたい。付録として、お江戸広小路亭も一回観に行った。飽きる理由として、かつては年に一回くらい木馬亭へ浪曲を聴きに行った。いろは亭へは、頻繁に行ったので飽きが出た。
ミャンマー寺院は、先月に再開したばかりなので長く続きさうだ。新型コロナによる四年半の休止期間では、最初の二年では、ときどきミャンマー料理店へ食べに行ったし、パゴダの建立法要にも参加した。しかしその後の二年は、ミャンマー料理店には行かなくなったし、パゴダの落成法要にも参加しなかった。一つには、良寛和尚に熱中したこともある。
しかし南伝仏法と、良寛和尚の仏法は、共存可能だ。相乗効果が期待できる。二方面から初期仏法を探ることは、あまり行はれなかったので、後から人が続々と続くやうに尽力をしたい。中村元さんは、南伝と漢訳の共通点から、ブッダの言葉を探った。そして複雑化する前の言葉に至った。しかし複雑化しない経典には、心を正すなど僅かしか残らなかった。これからは、南伝と達磨が伝へた法との共通点を探るのがよいだらう。
老いてまだ冷めるを知らず まづ六つ力を注ぎ四つを残す

反歌  いろは亭そして上野は熱き人多く任せて次の春にて
反歌  歳を取り六つはさすが疲れたか四つに減らし長くを目指す
いろは亭は、熱心な浪曲愛好者、寄席愛好者が多い。友の会会員の期限が来たら、静かに退場しようと思ふ。上野動物園も、膨大な数の年間パスポート購入者が存在する。こちらも期限が切れたら退場したい。どちらも残った人たちを温かく見つめながら。(終)

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