二千四百八十五(うた)大河ドラマを観なくなった
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
九月十八日(水)
毎週NHKのインターネットで、大河ドラマ「光る君へ」を観てきた。今日は、つまらないだらうから観たくはない、と思ひながら一応観た。普通は月曜に観るのに、今日迄延びたことが、観たくない気持ちを表す。
伊周が道長を襲撃しようとして弟が道長に知らせに行くところは、結末が熟成して居らずつまらない。しかしここは我慢した。中宮と藤式部の会話がつまらないので、切らうとしたときに一条天皇のお渡りだが、そのまま切った。
前回は一条天皇の第一皇子が嘔吐する場面があり、下手な調理人が大量の調味料を入れる手法なので呆れた。これで観るかどうかと思ひながら先週を終へたので、その分で既に失格寸前だったのだらう。
そもそも中宮が陰気な性格なのは、ドラマをつまらなくしてゐる。歴史や古文書に合った部分は、興味深く観ることができる。原作や脚本の、独りよがりな作り話は退屈だ。これまで両者が均衡を保ってきたが、つひに作り話が多くなった。
昔から大河ドラマを観る人は史実を好む 面白き作り話はよきもののつまらなきもの載せないが良い
反歌
近年は原作及び脚本が独りよがりで低質になる
大河ドラマのほかに、NHK短歌を前に少し観たが、内容が劣悪なのですぐ観なくなった。NHKは劣悪なものばかり作る。
九月二十三日(月)
前回は途中で打ち切ったが、今回は当時の風俗を示すだらう。さう思ってスヰッチを入れたところ、七割方は観ることが出来た。残りの三割も見ないのではなく、つまらないと思ひながらも見続けた。これが珍しい時代で珍しい登場人物の利点だ。豊臣秀長のときはどうするのか。
唯一の欠点は、登場人物で区別の付かない人が何人もゐる。その理由はこれまで何回も指摘した。俳優は、個性で選ぶべきだ。せめて化粧やかつらに工夫をしたらどうか。
数重ね六十一年経過した大河は濁り汚なき水に
九月二十四日(火)
二十一日から二十二日に掛けて、彦根を旅行した。井伊直弼は今でも親しまれる。大河ドラマ第一作「花の生涯」の主人公である。大河ドラマが堕落したのは、長続きし過ぎた(彦根多賀守山旅行外伝の該当部分へ)。
九月二十八日(土)
「光る君へ」が最近つまらない理由に、「源氏物語」が執筆当時から有名で、紫式部は天皇からもあらすじを質問されたとすることだ。
実際は、「源氏物語」の正式名称は不明で、中身も異本が幾つもある。紫式部が書いたことにも異説があり、一人で書いたかどうかも分らない。
一番よいのは苦労作家だが、紫式部は宮中に務めるからこれは無理だ。仕事の合間に書き、夫と死別し子育てに苦労する中で書いた。この程度が良かった。
その一方で、才能が有ったとするのはよいことだが、「光る君へ」では道長との男女関係のおかげで、父は越前守、本人は中宮の教育係、弟は六位蔵人。これでは安倍のお友だち依怙贔屓と変はらない。
九月三十日(月)
昨日本放送分を、今回もNHKプラスで観た。古文書にある話は興味深いが、どれが作り話でどれが古文書かを云はない。ほとんどの人が素通りするだらう。
この話は何々に書かれてゐるとナレーターが話すだけでよいのにやらない。作り話の部分はつまらないことが分かってしまふためか。
光る君三割暗く七割は光を放つ古文書に在り
紫式部が、帰省時に自慢話をしたり、娘と不仲なのは、物語をつまらなくする。中宮の無口もさうだが、わざわざつまらなくしてはいけない。(終)
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