二千四百二十三(うた)「上野動物園百年史」第三回
甲辰(西洋未開人歴2024)年
七月二十一日(日)
「上野動物園百年史」は内容が濃い上に、頁数も多い。そこで三たび特集を組むことにした。
まづ明治32~33年頃の園略図によると、動物は千川上水の北側に棲む。しかし千川の南東(川は西向きから南西向きに曲がるので)に植木のある広場があり、その手前に入口と出口がある。更に広場の幅を半分にした状態で川の南(川は途中で再び西向きになるので)を花園町通り迄続く。これらの面積は、川北側部の六割ほどになる。
園の北側には戦利品と書かれた展示場が空き地を挟んであり、これらの面積も、川北側部の三分の一ほどはある。
上野動物園百年史は枠囲みの記事があり、これが極めて優れる。「藤堂家墓地と寒松院」では
寒松院は(中略)寛永寺三十六坊のうちで、寺の西側の一番南に位置し(中略)同じく藤堂高虎の寄進によって竣工した東照宮の別当寺になっていた。(中略)藤堂家累代の墓地は現在も動物園内にあり(中略)動物園の敷地面積から除外されているところで、東西約26m、南北約38.5mの石塀に囲まれた(以下略)
寛永寺およびその支院の焼跡は、ことごとく官有地として没収されたが、明治4年(1871年)には、かつて西北隅にあった支院の土地を与えられ、現在の寛永寺になり、その後寒松院も、他のいくつかの支院とともに、現上野公園の東北隅に土地を与えられ、今なお、藤堂家の菩提寺として(以下略)
寛永寺戦の為に境内を多く失ひ 小さきの寺に落ちるは天台宗衰えるのと時を合はせる
反歌
天台宗皇室将軍大名と関係深く明治に遠く
反歌
皇室は神道へ行き大名は家臣団を失ひ小さく
七月二十二日(月)
枠囲み記事「日本で二番目の動物園」には
上野動物園につづく、日本で2番目の動物園としては、明治36年(中略)開園した京都市紀念動物園(現京都市動物園)をあげることができる。(以下略)
つづいて、大正3年(中略)に、大阪市天王寺動物園が開園している。
京都と天王寺の動物園に一泊で行くか、と考へた。ところが京都は、750円と上野より高い。市内在住の70歳以上は無料で、市の内外を区別する施設へは入場をしないが、六十八歳だから無関係だ。
天王寺動物園は、500円で高くは無いが、市内在住の65歳以上は無料だから、区別する施設だ。
京都は高く、天王寺は方針に反するので、関西旅行は幻に終はった。
うち日さす京(みやこ)は高く 大阪は市のうちそとを分ける故 動物園を二つ観る西への旅は幻となる
反歌
山城のみやこはちとせ続くあと京は今でもみやことも読む
七月二十二日(月)
明治四十二年に海外在住の或る日本人よりテングザルが寄贈された。
このテングザルは、シンガポールの二木邸で2年間も飼われていたものであるが、上野に到着してからは、わずか18日後の10月12日に死亡してしまった。
この頃は、飼育技術の未熟さもあったろうが、何よりも、飼育設備等の条件が悪かったとみえて、こうした珍獣は来園しても、きわめて短期間に死亡しているものが多い。
今、インターネットでテングザルを見ると、鼻が大きく変な顔つきだ。しかし絵葉書にもなった上野動物園のテングザルは可愛い。
百年史のテンングザル
テングザルやはり野に置け珍獣は長生きこそが人等の務め
七月二十三日(火)
戦後になり
現在、西園花園門の不忍通りを隔てた向い側にある松坂屋流通センターは、終戦直後東京都民生局の厚生会館として、戦災で焼け出された人、大陸からの引揚者、それに時には家を失って上野公園にたむろしていた浮浪者などの一時収容所となっていた。昭和22年12月には、この厚生会館も満員になり、(中略)不忍池のふち、現在水族館のあるあたりに(中略)昭和25年の夏には、350坪の敷地に25張のテントがならび300人ほどが住むようになっていた。昭和24年度には、この土地が動物園拡張予定地に編入されたため、(以下略)
さう云へば、松坂屋流通センターはいつの間にか無くなった。
松坂屋流通センター 上野店新館からの直営を止めて地盤が低下をしたか
反歌
松坂屋流通センター調べると足立荒川二つ見つかる
動物園に話を戻すと
動物園が拡張するのが容認されたのは、新宿動物園計画の破れたあとの予算の使い道としての拡張もさることながら、一つには上野公園に数百名もいた浮浪者への対策でもあったのである。
七月二十四日(水)
枠囲み記事「不忍池畔の納涼大会」の記事では
昭和26年7月7日から8月12日まで、上野動物園とタイアップして、上野観光連盟が水上カーニバルを開いた。これに端緒を発し、昭和27年の夏には、上野観光連盟が中心となって、第1回江戸趣味納涼大会が開かれ、(中略)毎年恒例の行事となり、風鈴、鳴く虫、金魚、盆栽などの露店から、植木市まで開かれるようになった。翌昭和28年には、(中略)水上音楽堂が完成し(以下略)
そして
上野動物園では昭和26年から29年まで、不忍池分園の夜間開園、昭和40年から翌41年まで新水族館の夜間開館を行って、この納涼大会に参加している。
夕方から夜に風鈴、鳴く虫、金魚、盆栽。これが納涼大会だ。先日行ったときは、飲食店ばかりだった。
夕方に 風鈴虫の音盆栽と金魚を見聞き 池の側涼む江戸趣味いそ年前は
反歌
都電から見える夜店と人の波光りに映える大夕涼み(終)
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