二千四百十(うた)1.江戸趣味納涼大会、2.上野動物園その七
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
七月十三日(土)
本日は仕事を終へると、不忍池の「うえの夏まつり」を観に行った。小学生の頃、夏の夜に家族で都電に乗り帰宅の時に、上野公園の停留所の左側に提灯の光りや屋台の光りが見えた。なつかしいから見に行ったが、名称が奇妙だ。
これはインターネットで調べて分かった。「第73回江戸趣味納涼大会・うえの夏まつり」が正式名だ。「江戸趣味納涼」に記憶がある。屋台と蓮見デッキの風鈴群を観た。蓮見デッキが出来たことを始めて知った。屋台は、期間中の金土日祝のみだ。
江戸趣味の納涼大会懐かしき小学生の記憶あり 夜店提灯後にして 池の暗闇その先に法華倶楽部の字がうっすらと
反歌
冷房がまだ無い時代夕方に納涼大会祭りに非ず
普段行かないところを歩くと新しい発見がある。蓮池の西側を歩き、説明版に汚物が溜まる構造なので曝気による浄化とあった。ボート池には藍染幹線の遊水機能があったのだらう。三つの池とも水位が上がると繋がってしまふが。植物の浮島もある。水から栄養分を吸収し、生物多様化にもなる、と説明がある。
池之端門から入場した。十六日から月末まで、両性爬虫類館が閉館するので、まづ入館した。次に、カバ舎前で飼育員の解説があるので聴いた。本日はこれだけで帰宅した。晴れたが、最高気温は三十二度に留まった。しかし木曜、金曜が雨で気温は二十八度だったため、暑く感じた。解説だけ聞いて帰るのは、当初の計画どほりだった。
花園門が気になったので、池之端門の門前の地名を調べた。花園町は池之端三丁目で、水月ホテルの近辺だ。池之端門の門前は池之端二丁目で、ここは元の池之端七軒町と池之端茅町。池之端門は花園町ではないが、東京電力の変電所は元の花園町かも知れない。動物園専用の変電所であらう。
池之端茅町と呼んだのは、さう云ふトロリーバスの停留所があった。トロリーバスが廃止になってからは、バスの停留所は無かったと記憶する。今は池之端一丁目のバス停がある。
落語に「根津七軒町」が出てくる。或いは東京市に区が出来る前は、文京(当時は本郷)区と台東((当時は下谷)区の区別は無かったのかも知れない。更に調べると、茅町は下谷茅町とある。一方で池之端茅町町会がある。
池之端に昔あったものとして、池之端文化センターと云ふ結婚式場が見つかった。確かに池之端七軒町の停留所のすぐ斜め前に建物があった。しかし調べると場所が湯島駅の近くだ。記憶を思ひ起こすと、池之端七軒町の停留所そばは、地名が根津二丁目だ。あれは帝都高速度交通営団(云はゆる営団地下鉄)のホテル兼結婚式場だった(と思ふ)。
動物園花園門を調べると 水月ホテル変電所法華倶楽部と次々に 新たを知りてまた蘇る
反歌
花園門不忍の池調べると昔のこともまた偲ばれる
上野動物園の一回目で気付いたのだが、不忍池の向かう側に見える奇形の高層ビルが無くなったのはよかった。ところが高層ビルは、癌細胞みたいに増えてしまった。法華倶楽部があの最初の高層ビルだったことは、今回調べて分かったが、前にも調べたことを思ひ出した。
都電から夜はかすかな電光で法華クラブが そののちは醜きホテル数年で倒産をして売却も復た閉館で姿も閉じる
反歌
嬉しさも中くらいなり池之端高層ビルが三つに増える。(終)
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