千六百三十(歌、和語の歌) 保守とは、周辺の調和だ
辛丑(2021)
十月二十四日(日)
昔、不忍池から醜い形の二十六階建てビルが見えた。観光地のすぐ近くにあのやうな建物があることに嫌な感情を持った人も多いことでせう。私は今までマンションだとばかり思ってきたが本日、ホテルだったと知った。しかも法華倶楽部の経営だったと知って驚いた。
昭和四十(1965)年前後に、「上野広小路」から「江戸川橋」方面の都電に乗ると、赤札堂(後にABABと改名)の前で、「浅草」方面の路線と分かれた直後だったか、その先の「上野公園」停留所を過ぎた後だったか、夜には法華クラブと赤(或いは青だったか)の電光が見えた。その法華クラブの跡地に建てたのだった。
「ホテルCOSIMA」と名乗り、法華倶楽部創業家の名に因んだ。平成六(1994)年に開業したものの、平成九年(1997)年に会社更生法を申請。世界最大のホテルグループだったフランスの会社が不動産を購入し、平成十二(2000)年に「ソフィテル東京」として開業した。しかし四年後に営業を終了し平成十九(2007)年に建物は解体された。あの醜い建物が不忍池から見えなくなって、本当に良かった。
法華倶楽部は、僧X信者の小島某が京都参拝者のため大正九(1920)年に開業、昭和二十五(1950)年に大阪店、昭和二十九(1954)年に上野池之端店を開業し、その後、全国に展開した。
池之端 法華クラブは 都電から 不忍池 暗闇の 背後に見える 電光が 今も記憶に 車内の夜景


十月二十五日(月)
短命に終った醜い建物として、もう一つXX宗の正本堂と旧総坊がある。正本堂は昭和四十七(1972)年に完成、平成十(1998)年に解体された。自民党と連立を組む政党を持つ宗教団体が寄進した。正本堂単体ではそれほど醜くない。しかしその前(昭和四十一年から昭和四十六年)に作られた旧総坊が醜かった。五棟あり、コンクリート打ちっぱなしの外壁と、屋根の上の給水タンクのタワーだけが目立つ異様な外観だった。
さすがに酷いので、前管長が急死したあと解体し、この宗教団体の再寄付で新たに和風の建物が二棟新築された。その後、この宗教団体と不仲になり、正本堂まで解体された。

十月二十六日(火)
鶴見の総持寺に、三松閣と云ふ鉄筋コンクリートの大きな建物がある。平成二(1990)年に建てられ、平成五年に三松閣を新築した時のパンフレットを頂いた。周囲との調和が大切と書いてあった。確かに三松閣は周囲と静かに調和する。
ほぼ同じころに作られた、法華倶楽部のホテルCOSIMAは、まだこの思想が広まる前に構想を始めたのだらう。
自民党安倍周辺の稲田、下山らが、LGBT法案で現代の薩長連合を気取り、実権を取り戻さうとした。そのとき、多様性が保守だと言った。三つの建物を比べた時、稲田、下山らの発言のどこが誤りかがよく判る。

十月二十七日(水)
与党は、自民党と公明党の連立だ。多様性が保守なら、立憲民主党を与党に加へると、保守性が高まるだらう。共産党を加へると、更に高まる。もちろんこれが出鱈目なことは、誰でも気付く。稲田と下村の主張は、これと同じくらい出鱈目だ。
そもそもLGBT法案は欧米文化の押し付けだから、多様性を損ねる。欧米文化押し付けに反対する意見が抑圧される。欧米文化には反対しないがLGBTに反対する人も多い。この意見も抑圧される。
結論として、保守とは多様性を認めることではなく、周囲との調和だ。池之端の今は無いホテルの外観を思ひ出し、さう思った。
とは云へ、この定義は諸刃の剣だ。周囲との調和を押し付けてはいけない。さて周囲とは、場所のほかに時も含まれる。日本は属国状態が長いから、時は重要だ。
世を次に 伝へるために 周りとは 場と時につき 調(やわ)らぎ和(なご)む
(終)

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