二千三百八十四(朗詠のうた)飯田利行「沙門良寛の国語音韻論」
甲辰(西洋未開人歴2024)年
六月二十五日(火)
論文「沙門良寛の国語音韻論」は、飯田利行著「大愚良寛の風光」に収められてゐる。今回は、これを本格的に見ることにした。まづ
良寛にとって歌は(中略)禅僧の生活の道具(錫杖・鉢盆・坐蒲)と同じようなものであり、また生命そのもの(中略)でもあった。伊藤左千夫(生存年略)が「禅師の歌は即禅師なり」とか「作者の生活即歌の性命を為せるが故なり」(「田安宗武の歌と僧良寛の歌」)と絶賛していることからも察しうる。

この次に、次の図表がある。
     声韻の事を語り玉ひて
かりそめの 事と思ひそ この言葉 言のはのみと おもほゆな君
声 通左右/彊/始 帰本/有韻/体 静/有清濁 顕
韻 通上下/柔/終 止末/無声/用 動/有軽重
     五韻を
くさゞ(二文字繰り返しで濁点の付いたもの)の あや織り出(いだ)す 四十八(三文字で、よそや)文字 声と韻(ひびき)を 経(たて)緯(ぬき)にして

前回これを省いたのは、小生の頭ではまったく理解できなかった。利行さんがどう解釈するか、楽しみである。

六月二十六日(水)
「かりそめの事と思ひそ」について
道元禅師は(中略)「只管打坐」がすべてであって修懺看経(儀式読経)、文筆詩歌、声韻の学などは栓なきもの、いな捨つべきものとさえ強調していなさった。だからといって、声韻の事をおろそかにして宜しいということではない。声韻の原理は、万葉の昔から語りつぎ、言いつがれてきた美しい古(ふる)言(ごと)の名残りをとどめたもの。もしもこれを失えば、心の故郷を喪失したことと同然である。

前半は、曹洞宗に特化し過ぎるが、後半は同感である。そして実は、前半も同感である。小生は、只管打坐するには儀式読経が必要だと云ふことがある。一方で儀式読経が目的になってはいけない。だから道元の云ふことは尤もである。
五韻とは、アイウエオのことで、これを経(たていと)とし、声(子音、以下略)を緯(よこいと)として次第(あや織る)し、四十八文字(括弧内略)を織り成している。

個々の解説は
声は「左右に通ず」とは、横、段、列に通用するの意。それに対し、韻は「上下に通用する」。「本に帰す」とは、横の列は、すべ゛てア行の本字に帰結するの意。「末に止まる」とは、韻は上下に通用するので末にとどまってひびきとなるの意。「顕」とは、体としての声は「用」である韻が「声」に従って隠れるとの意。「静」「彊」「動」「柔」は、ともに特性を相対せしめたもの。「韻あり」とは、韻を添える字。「無声」とは、子音を伴わずしてひびき、抑揚だけであるとの意。「清濁あり」とは、子音に清音、濁音(半濁音(中略)もある)ありとの意。「軽重あり」とは、前舌子音を添える軽音(拗音)と後舌母音を添える重音(合拗音)とあるとの意。「始」とは、上を指し、「終」とは、下を指す。「体」とは、うごかない形。「用」とは、はたらく機能。

なるほどこれなら判りやすい。これを歌詠みにどう生かすか。

六月二十六日(水)その二
良寛の国語音韻論の骨子の背景にあるものは、良寛が万葉集を中心に上代の歌謡の美しさと、その用語用字が醸し出して我が国の人々の想いを和らげた言霊の荘厳さなどを表出せんがためのものであった。(中略)舌と喉と唇を前後、左右、上下に動かし、語呂のすべりと流れを繰り返しつつ構成した原理を実地に応用した表記によるものである。しかもそれを草仮名という視覚的にも素晴らしい技法をこきまぜての詠出ぶりであった。

利行さん昭和五十八年の稿である。今後は良寛和尚の歌を、そのやうな観点から読むことにした。
歌詠みはそれぞれが持つ美しさ違ふも中はよろづ葉ごころ
(終)

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