二千三百七十一(朗詠のうた)歌を作る動機(付録、「幅広く、しかし統一性」)
甲辰(西洋未開人歴2024)年
六月十五日(土)
一週間ほど前に、作った歌と似たものを前に作ったかな、と調べたところ、別の歌だった。このことで思ひ出すのは、良寛和尚の歌には、類似するものが何首もある。求めに応じて書くから、前に作ったものと似たものが出来る。
歌を職業或いは貴族の出世手段とする人たち(例、紀貫之)や、現代は歌だけで生活ができないから仕事をしながら副業として歌を作る人たちは、上手な歌を作ることが目的だから、記録をきちんと取り、類似の歌はないであらう。ここで新しいことが分かる。上手な歌を作ることが目的なのか、歌を作りたいから作るのか。
(追記)似たものと感じた歌が分かった。
生贄の萩生田かばひよこしまの岸田同じく生贄となる

これに対し、似た歌は
生贄の萩生田処分出鱈目な岸田も共に生贄と堕す

似るが違ってゐた。(歌は、新しく作ったときは、それ以外はを使って来た。その理由は、歌の数を数へるときに重複を防ぐためである。)

六月十六日(日)
歌を作りたいから作る、は心の叫びである。小生は、まづ普通の文章を書く。文章を盛り立てるため、歌を作る。ときどき、文章を歌に変へることがある。どちらも、心が文章を書きたいことに違ひはない。
稀に、一つの特集に歌が無いので、歌を追加することがある。これも歌を作りたいことの延長かな。つまり特集を幾つも作る。その流れである。
メモ書き歌は、歌を作ることを目的にする。しかし上手い歌を作らうと紀貫之みたいなことを考へる訳ではないから、歌が落ちることはない。時間が余ったときの対策だった。最近メモ書き歌が減ったのは、年齢のせいだらう。
メモ書きの歌が減るのは 月重ね体が少し重くなる 又は春から夏になり体が付いて行けないためか

反歌  メモ書きはまとめて作る歌故にほかの歌とは少し変はるか

六月十八日(火)
康成の物語「雪国」は「国境の国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」のやうな文章がずっと続く訳ではない。同じやうに、歌もいろいろなものを作らなくては駄目だと、前に主張したことがあった。子規一門の歌は、子規の歌論に縛られて同じやうな歌ばかりを作ってしまったことが欠点だらう。
そのやうな中で、茂吉は歌を渡航日記として駆使した。海外に行ける人は稀な時代に、渡航記録は珍しいから人気を得たと、前に書いたことがある。渡航記録だといろいろな歌が入る。しかし日記として統一性を持つ。「幅広く、しかし統一性」。今回「歌を作る動機」のほかに、もう一つ歌論ができた。
幅広く次にすべての歌が持つ一つの物が共に通じる
(終)

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