二千三百四十三(朗詠のうた)NHK批判(NHK短歌、「光る君へ」は心理が出鱈目、現実離れ)
甲辰(西洋未開人歴2024)年
五月十二日(日)
本日放送のNHK短歌は、万智さんが選者だが最悪だった。先月の万智さんは初出演なのでよかった。だんだん初心を忘れて悪くならだらうと思ったら、万智さん以外の制作、司会、ゲストが悪かった。
ゲストは「光る君へ」の出演者で、前回はよかったのに、今回悪かったのは髪形だ。別の週の司会尾崎世界観ではあるまいし、あんな髪形観で出演してはいけない。悪い筆頭に「制作」を入れたのは、本人より周りが悪い。そもそも役者は舞台が勝負だ。NHK短歌出演は、私生活の延長だ。舞台の印象を、私生活で壊してはいけない。
司会が、「光る君へ」の出演者が出るのだから私にも、と半分本気半分冗談で言ったが、さう云ふことをNHKで言ってはいけない。万智さんの選歌は、可もなく不可は少しあり、だった。商品名を入れた歌は、NHKだから放送してはいけない。
万智さんの解説、ゲストの作った歌は見なかった。とにかく出来の悪いときのNHK短歌は、選歌した歌しか見ない。
五月十七日(金)
「光る君へ」を観て不審に思ふことがある。登場人物の心理をまったく考へないことだ。道長の姉で皇太后の詮子は、息子の一条天皇に対し、即位前から権威的に接して来た。それでは一条天皇が皇太后の云ふ事に随ふはずがない。詮子と道長は仲がよいことになってゐるが、互いに無神経な言動を繰り返す。
道長の長兄道隆は、長女で一条天皇中宮の定子に対し、早く子を産めと怒って叫ぶ。あれでは定子は道隆を不快に思ふ筈だ。道長の次兄道兼は、彼らの父兼家が後継に長兄道隆を推したことに怒り、暴言を吐いて出て行くが、あれでは道兼にもはや一族内で居場所が無くなる筈なのに、長兄急死の後は関白になる。
制作、原作、脚本、演出は、登場人物は自分たちの作る作品の将棋の駒で、思ふとほりに動くと思ってゐるらしい。
物語り出てくる人は心持つ操り人の駒には非ず
五月十九日(日)
今日のNHK短歌も、選歌だけ見た。可は無く不可ばかり。万智さんの選歌よりはるかに悪い。悪い中から選ぶなら、制作(プロデューサ)が悪い。
「光る君へ」は、現実離れした筋書きが気掛かりだ。ききょう(清少納言)とまひろ(紫式部)が、検非違使の囲む中宮定子実家へ忍び込むのも現実離れだが、ききょうが中宮の付き人なので大目に見た。その後の、木の枝を頭上に持って忍び込むのは、現実離れが過ぎる。
中宮が、検非違使の刀を奪ふのも現実離れだ。そんなことをすれば瞬時のことなので、刃先に触れて負傷するかも知れないし、誤って斬られるかも知れない。そのあと自分の髪を切って出家するのだが、その導入部にしては大掛かりだ。出家が付属物になってしまふ。
朝の歌夜の大きな河ともに出来良くなしは もしこれが商ひならば店じまひかも
反歌
公の名で商ひを離れるとぬるま湯浸かり力が堕ちる(終)
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