二千三百三十八(朗詠のうた)玉島訪問記(円通寺)
甲辰(西洋未開人歴2024)年
五月十二日(日)
バスを降りて小規模の橋を渡り、狭い上り坂をずっと登ると、円通寺がある。傘を差し乍ら境内を歩いた。良寛堂は工事中だ。本堂そのほかも戸は鍵が掛かってゐて、良寛記念館のみ入ることができた。ここで五百円をお賽銭箱に入れた。本堂でも三百円を入れた。日泰寺で十円しか入れなかったのとは、大違ひだ。
かばんは重くない筈だが、夕方になると手が疲れるのか重く感じる。国民宿舎良寛荘へと向かった。昨日はチェックインが夕方四時からだったので、今回も四時まで境内を廻ったが、三時から入れた。

 
良寛記念館                       円通寺本堂
夕食とお酒は新倉敷駅前で購入したので、大浴場へ入り夕食を食べて、夕方五時過ぎに寝た。夕方になると疲れるのは年齢相応だらう。

五月十三日(月)
早く寝たので、明け方一時過ぎに目が覚めた。普段はパソコンを使ふが、持ってこなかった。旅行に便利な小型パソコンは、壊れて買ひ替へて、普段は妻が使ふ。テレビを少し観たあと、することが無くなった。そこで廊下の自販機からビールに似た缶350ml(表示はお酒)を一本飲んだ。もう一本飲みたくなり酎ハイを三本飲み、スマホを操作した。館内Wifiがあるので便利だ。

 
良寛荘室内(壁には良寛の書が複製で掛けてある。日本酒紙パックと缶がたまたま写ってしまったが、日本酒は夕食、缶はその八時間後なので、飲み過ぎではない。紙パックは記念に持ち帰り、缶はここに置いた。自販機に缶入れが無いし、ゴミ箱は宿舎従業員が分別する必要がある。紙パックは、岡山ではなく広島の酒だった)
良寛荘夕暮れ時に着くのちは 湯浴(あ)み先ほど駅で買ふ酒と食べ物味はひて 部屋の明りを消して床へと

反歌  八時間寝ると夜中の一時には目覚め文読み夜(よ)に調べもの
反歌  五度又は七度の缶を自販機で二百円にて四本を飲む
反歌  今までに宿で酒買ふ事は無く宿に付き合ふ心持ちにて
良寛荘の名と、昭和の香りに賛同した。亡くなった父が、旅館で酒を注文するのはお付き合ひだと語ったことがある。
良寛荘国民宿舎和室には昭和の香り漂はす 宿の名前と円通寺近くに建つはその訳にして

反歌  良寛荘泊まるは和尚に親しみを持つ人ばかり皆が繋がる
朝食は七時半からだ。六時過ぎに玄関へ行くと扉は既に開いてゐた。昨日に引き続き、円通寺へ行った。覚樹庵と小松宮揮毫がお目当てだったが、これ以外に本尊星浦観世音菩薩と書かれた赤い縦長の旗が沢山立つ巡礼路を歩き、これは壮大だ。
山道を下まで往復し、この道は自動車が通れないので、良寛荘側から降りる道を見て戻った。倉敷ナンバーの車が何台か来るのは、良寛荘り従業員かな。一人は円通寺公園で作業をするやうだった。

  
円通寺裏側(円通寺公園側)                   巡礼路                  良寛椿

  
小松宮石碑                                                小松宮石碑裏面
小松宮石碑は、地図にあるので初めて知った。良寛を愛好した多田が参謀次長のときに、参謀総長は閑院宮載仁親王で、そのことと関係があるかと思ったが無関係だった。

  
良寛和尚百八十周忌                  国仙和尚墓碑                     円通寺の山下
良寛堂元は衆(しゅ)寮で 良寛様修行の時に寝泊まりし学び食事を摂る所にて

反歌  衆寮とは小僧学びて食べて寝る別の堂にて坐禅読経
鶴見の総持寺で、日曜参禅会(今は廃止)は衆寮で行はれた。畳一つづつ区切られ、元は修行僧が寝食と読書を行ったが、別の建物が作られて、信徒の坐禅に使用した。
呼び方を良寛和尚良寛様円通寺ではよく似合ふ 我が呼び方もこれに習はう

反歌  禅師とは禅宗以外も使ふ名で良寛禅師これもよく合ふ
朝食は七時半からだ。満足な内容だった。朝食付きはよい。そもそも良寛荘で朝食無しだと、買ふ店が無い。前日に買って冷蔵庫へ入れるか。部屋は、昔の和風旅館、或いは昔の公営国民宿舎の雰囲気を今に伝へる。良寛荘は、倉敷市営の国民宿舎だから、本来は当然だが。
帰りは玉島の街を見ることにした。昔の街並みが二ヶ所あり、一つは山を下りたところで、川の手前だ。

  
玉島の街並み
円通寺良寛和尚若きとき修行の山は 下に街海川港揃ひ栄える

反歌  円通寺今も静かな山の中良寛好きが競ひて集ふ
次に川を渡った先の通りを、先へ進んだ。良寛様は、どちらの通りも托鉢で何回も歩いたことだらう。二つ目の道が丁字路で終了したところに、神社がある筈だが見当らない。あちこち探して、ビルの二階だった。参道は坂道だ。しかし摂社、末社が沢山あり、立派な神社だ。
古い家並ぶ街並み二つあり それぞれ違ふ川に沿ふ川は船付け積み降ろしの場

反歌  維新後は鋼(はがね)の道とくるま道出来て海川代はり務める
二つ目の街並みと平行にバス通りがある。良寛通りだ。
良寛様かつて托鉢歩く道 今日我が歩み道同じ 円通寺より羽黒社(やしろ)へ

反歌  大通り良寛通り名乗るともその南には托鉢小道
神社に入る前に、そのままバス停へ行けば本来、円通寺の山下から乗る筈だったバスに間に合ふ。しかし神社に寄るほうを選んだ。神社を出たときにバスが来たが、バス停は信号の反対側だから間に合はない。駅まで歩くことにした。(終)

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