二千三百三十八(朗詠のうた)玉島訪問記(家へと帰る)
甲辰(西洋未開人歴2024)年
五月十三日(月)
羽黒神社から駅まで歩くことにした。井笠バスは寄島支所発で、円通寺の山下を経由ののち新倉敷駅へ行く。両備バスは玉島中央町発で、全体の四割程度を占める。玉島中央町の折返しを見た。反対車線から入って急旋回の途中にバス停がある。
玉島は大きな街で人多く だが乗り合ひは少しにて平日六つ土日は四つ
反歌
玉島の中ほどまではあと五つ土日二つで徒歩十五分
玉島中央町までは両備バスが平日五本、土日祝は二本。円通寺の山下から玉島中央町まで徒歩八分、円通寺までは十五分。
玉島は昔港で栄えるも明治の後は家並みが北へ拡がり商ひの古い街並み今でも続く
反歌
古い家寂れた故に今続くどう次の世に伝へてゆくか
玉島中央町のあとは、見るべきものはなく、新岡山駅へ着いた。新幹線ができる前は、玉島駅と呼ばれた。ここから新幹線に乗車し、新大阪で乗り継いで帰宅した。新倉敷が遠い理由は止まる列車が少ないことと、ジパング切符ではのぞみ号に乗れない。まづ、新倉敷は一時間に一本しか止まらない。岡山でもし、のぞみ号に乗り替へられるなら東京まで三時間半だ。実際はのぞみ号を使へないから、岡山と新大阪で乗り替へて四時間半だ。帰りも新大阪まではキティ新幹線だったが、列車内を見て廻らうとは思はなかった。往路で既に見たためだが、疲れたからでもあった。
静岡を過ぎて
真上には雲厚くなく暗くなし 向かひの山が暗いのはその頂きに黒い雲あり
反歌
低き山だがその上に雲があり富士は見えずに三島へ向かふ
反歌
黒き雲三島近くで無くなりて向かひの山も消え街並みに
反歌
新幹線のぞみに乗れず倉敷は遥かに遠く良寛様も
新大阪からの新幹線は、車内で歌を作った。玉島訪問記(円通寺)と玉島訪問記(家へと帰る)の歌は、このときのものだ。旅行全体を作ったつもりだが、玉島に偏った。
今回、宿泊を伴ふ旅に行けたのは、妻の海外旅行で母を介護施設に一時宿泊させたためだった。実際は、義父の死が重なり、大変だった。
此の旅は 妻と妹旅に出る 母を預けてその間だが妻の父亡くなりて弔ひのため妻出掛け 一日づれを間違へて母の書類と泊まる間(ま)の薬届けた次の日に 慌ただしさは過去に例なし
反歌
母泊まり書類と薬届けるはバス一日の乗車券にて
反歌
久し振り宿へ泊まるをしてみれば疲れ楽しく旅の醍醐味
新幹線の車内では、参謀総長の宮は多田次長時代と思ってゐたので、そのときに作った長歌「円通寺良寛和尚若きとき(以下略)」に対する反歌の一つは「円通寺今も静かな山の中小松宮の碑が加はりて」だった。これを「円通寺今も静かな山の中良寛好きが競ひて集ふ」に変更した。土曜は良寛荘が満室で泊まれないことが多いらしい。日曜朝は、円通寺で座禅会が開かれる。(終)
メニューへ戻る
うた(八百七十八の三)へ
うた(八百七十八の五)へ