二千三百二十五(うた)良寛に関する小書籍三冊
甲辰(西洋未開人歴2024)年
五月三日(金)
良寛の小書籍三冊を借りた。このうちの二冊はまったくの期待外れだった。この二冊のうち一冊は大学教授を名乗る人が書いたが、大学の学部とは無関係の教授だと、この程度の本しか書けないのか、が感想のすべてだ。もう一冊は、日本古来の文化を扱ふ商品の店に生まれた方の本で、内容が無い。この二冊には共通点がある。全国良寛会系の書店より出版された。
もう一つ共通点があり、混同の説を、無批判で取り入れる。一人は、万の書いた本文の現代語訳を載せ、更に万でさへ言はない無言の修行だとする。
無言行は、仲間内全員で無言行をすると示し合はせた上で行はないと意味が無い。相手が自由にしゃべるのでは、自分も心の中でしゃべってゐる。或いは、行動でしゃべってゐる。
もう一人の本は、或る店の店主の先祖が万だとする。書籍を書くには、客観的で中立の立場が必要だ。或いは、相手の意見に対し、自分の意見を述べるのでもよい。どうも最近読む本は、万の説を、さりげなく無批判に取り入れる。
良寛を論じる時は中立で客観的が必要に 異なる意見無視のため 真偽未定を引用避けよ

反歌  渡航説そして実父は誉(たか)章(あき)の説は中立皆で解決
二冊のうち一冊は、円通寺の基本方針である「西来家訓」を載せる。そこで注目すべきは
一、西来門下(吾が法孫)は、専ら永平寺開祖道元禅師の家訓(永平大清規)と、総持寺開祖螢山禅師の清規による。(以下略)
一、沙門は応に慈悲を以って体と為し、忍辱を衣と為し。
一、禅林の歌風、坐禅を要と為し、然かも時に随い機に応じて、間に講筵を開くも可也。

重要な文言を赤色にした。現在の曹洞宗は、道元と螢山を両祖とする。これは永平寺と総持寺を一つの宗派にする為に明治時代の妥協と云はれてゐるが、明治維新以前にも両祖の考へはあった。ここで、螢山は祈祷を取り入れて教線を拡大したとする悪口があるが、そもそも戒律を保つ僧侶が祈れば、そこには神々が応援するとすべきだ。
良寛さんの道元傾倒を西来家訓とどう調和させるか。これは難しくない。道元、孤雲懐奘、徹通義介と続いた第四祖が螢山だからで、決して螢山を嫌ってのことではない。そもそも永平寺に祈祷を取り入れたのは徹通義介で、そのため三代相論が起きた。
次の赤色の講筵は、作務と並んで曹洞宗では、止観のうちの観に当たると考へるからだ。良寛さんは、円通寺を出た後は、まづ幕府の寺社政策以前の仏法を探す事で、越後に帰国の後は詩と歌と書で観とした。
もう一冊には、円通寺境内の石碑と旧跡の地図が載る。これは便利だ。

五月四日(土)
コレクション日本歌人選015佐々木隆「良寛」は、他の二冊と同じ小書籍ながら、中身がある。歌集「ふるさと」の順番に、11の
山かげの荒磯の波の立ち返り見れども飽かぬ一つ松の木

について、国上山は海と接しず、松が10の長歌「国上の 大殿の前の 一つ松 (以下略)」の松なら日当たりの良い場所で、山かげではないと云ふ。
するとこれは、「たち返り」という言葉を導く以外には意味のない序詞にすぎないのだろうか。

結論としては
「山かげ」が、国上山の五合庵に静かに暮らす良寛の生き方を、「荒磯」は人が近寄らない厳しく寂しい場所を暗示すると取れば、(中略)そんな私の気持ちを毎日引き立ててくれるのがこの素晴らしい松の木なのだ、といった意味になる。これならば意味のある序詞となるだろう。

「山かげの荒磯の波」とは、世間のつらさかも知れない。
若菜摘む賤が門田の田の崩岸(二字で、あず)にちきり鳴くなり春にはなりぬ

「あぜ」ではなく古語の「あず」、「鳧(けり)」ではなく土地の言葉で「ちきり」を使ふことにより
東歌のような(中略)古さと土着性、春の喜びの根源性を示そうとしたのである。

次に
ひさかたの 天の河原の渡し守川波たかし心して越せ

この歌について
これまで、天の川に佐渡島と新潟の間の海を喩えてきたが、歴史家の田中圭一氏によれば、良寛の母おのぶは佐渡の人で、良寛の父以南と結婚する前に、他の男性と結婚したが(以下略)

本文だけだと、良寛の実父は以南ととれるが、田中圭一氏について欄外に
氏は良寛が母の前夫との間の子ではないかとほのめかしている。そうなれば家督を自分が継がず弟に譲ったことが説明できる。

かう云ふ客観的、中立的な考察が必要だ。説明できる、の表現は、小生も渡航説によって行方不明期間を説明できる、としばしば書く。
41の歌からは
季節的・時間的な前後関係によって排列され、漢詩的な構成の排列ではなくなる。(中略)あるいは、原『ふるさと』は四十首までで、(中略)二十一首は後に書き加えた可能性があるように思われる。

とする。小書籍なので五十首で終了する。そのあと年表があり、三十三歳で国仙より印可、三十八歳で父が自殺で一旦故郷に戻り、三十九歳で故郷に戻り郷本の空庵に住む、とある。万が土佐で会った話は無いが当然である。ああ云ふ真偽不明のものを載せてはいけない。(終)

「良寛、漢詩、和歌」(八十五)へ 「良寛、漢詩、和歌」(八十七)へ

メニューへ戻る うた(八百六十四)へ うた(八百六十六)へ