二千三百十八(普通のうた、和語のみのうた)笑ひは短期、評価は長期
甲辰(西洋未開人歴2024)年
四月二十七日(土)
寄席で講談を聴いたときに、嫌だなと感じたことが二回あった。一つ目は、前座さんが開口するや、撮影と録音はご遠慮くださいと話したときだった。そんなことは、幕が開く前に云ふべきだ。さうすれば、席亭が云ったのかな、と観客は気にしない。もちろん前座がマイクに向かって云ったのだが。
或いは、楽屋にマイクが無かったのかも知れない。だからその後は、気にしなかった。二つ目は色物の出演者が、コンビニでバイトしたときに芸人だと分ると購買客が「業界の人を紹介するよ」と云ったことについて「どうせ知り合ひは小物だろ」と口にした。これはよくない。この人の話は面白いし、ギターの伴奏が調和する。だからそのときは、気にしなかった。
数日後に寄席へこの日は、浪曲を聴きに行った。それまで、講談と浪曲を今後も聴かうと思ってきたが、浪曲だけにしようと思ひ始めた。これはこの日の中入り前の鼎談が良かったこともある。しかしもう一つ、「笑ひは短期、評価は長期」である。寄席で聴いたときは講談を面白いと思っても、日にちが経つと評価になる。
舞台にて笑ひの声が聞こえても それで自分を採点は当てにならない 数日後時間が経つと評価に変はる

反歌  身内での笑ひ声とは義理笑ひ応援笑ひ嘘笑ひかも
これは落語を聴いたときだが、或る出演者は知人が観客席にゐるらしく、面白くない場面でも笑ふ。これは義理笑ひまたは応援笑ひだ。これを間に受けると、疝気の虫の掛け声みたいに、面白くないことを強調するやうになる。知人の笑ひは感謝をしつつも、これで自己採点してはいけない、と自分に言ひ聞かせる必要がある。
講談で、赤穂浪士がお預けになった四つの藩邸跡のうち、大使館(フランスだったか)敷地内があり普通は入れないが、伝手で入れて貰ひそこで講談をするやう云はれた話があった。これは何の問題もない。何の問題もないのだが、更に改良する為に一つ余計なことを書くと、伝手で入れて貰った話と、そこで講談をした話が、或る程度時間が経過したため、前半で自慢話と勘違ひされる惧れがある。両者の間隔を近づけるか、前者を後者の枕とはっきり分る形がよい。

小生は二回の教師経験がある。一回目は三十三歳から三十六歳で、情報処理専門学校だった。二回目は五十六歳から六十歳までで、会社に勤務しながら週二回乃至三回の午前中のみ都立特別支援学校でコンピュータを教へた。一回目は、授業をこなすことだけで精一杯だったが、 二回目は話した内容をすべて覚えてゐて、後でここはかう話せばよかったなど、毎回三時間の授業で幾つか改善点を見つけた。
一回目にやらなくて、二回目でやるやうになったのは、それだけ歳を取ったからだらう。或いは別の言ひ方をすると、それだけ心に余裕ができたためだらう。芸人の皆さんも四十歳を過ぎたなら、話した内容のここをかうすればよいと、毎回検討してほしい。それが名人への道である。
歳を取り心にゆとりが出てくると 話したことの直すべきことが分かりて日毎に伸びる

反歌  若き時文では直すべきことをあとで考へのちに話も
思ひ起こせば、若い時は書いた文章をすべて覚えてゐて、時間があるときにここをかう直さう、と頭の中で推敲した。今出来なくなったのは、歳を取ったせいか、或いは書く分量が多いためか。両方ある。今授業をやれと云はれても、かつてのやうに話したことをすべて覚えることはできない。書く文章が多いこともある。今月は二十六年間で最高記録になった。(終)
(追記)長歌の「心にゆとりが」は字余りだと後で気付いた。修正を試みたが、このままでもよいかと思った。字余りらしくない理由は、(1)「心」の「ここ」が同音反復な事と、同じく(2)「心」の母音が三つ続けて同じことと、(3)「に」「が」と助詞が三音の後ろにあることか。

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