二千三百二十九(朗詠のうた)五月の梶原いろは亭
甲辰(西洋未開人歴2024)年
五月五日(日)
五月のいろは亭番組表が郵送されてきた。昨日の週末寄席は、浪曲に昨年二月入門の新人が、落語二人の前に出演する。聴きに行きたかったが見逃した。本日の日曜寄席では、落語三人でうち一人が前座。お囃子の実演と解説があるので、これも聴きに行きたかったが、五月は忙しく行けない。
春半ば弥生卯月は暑くなり寒くなるので 休みの日家でゆるりとたまには過ごす
反歌
今日の日は端午の節句元々は弥生の終はり三日で卯月
週末寄席は、あと二回あり、いづれも浪曲。それ以外に、先月に引き続き菊春師が木曜に開演する。予定が重なり全部は無理だが、できるだけ足を運びたい。足だけではなく、胴体と頭も運びたい、は冗談である。
日曜寄席は、あと三回ありいづれも落語で、三春の会、なかよしおじさんズ、もうすぐ新真打と一門の仲間、と盛り沢山だ。水曜の、若手の会は五回あり、二人のうち一人は講談が一回、一人は浪曲が一回。浪曲出演には行きたい。
ここまで書いて、友の会は年三千円のA寝台、ではなかったAタイプと、五千円Bタイプのアーカイブ付き配信視聴が出来るものがある。来年はBタイプにしたい。あ、A寝台の冗談は、いろは亭の向かひに尾久駅構内の客車操車場が見える。今は客車がカシオペアと云ふ全A寝台編成だけになったが、それに因んだ冗談である。A寝台車の上段ではない。あ、これも上段と冗談を掛けた。
X(旧ツイッター)を観ると、楽屋で太鼓を叩く動画がある。せっかく太鼓があるなら使へばよいが、叩く人がゐないのかな。入口に移動させて扉を開けて、いろは亭関係者が受付を兼ねて叩けば、場内に聞こえるし通行人への宣伝にもなるのでは。外は線路がたくさんあるだけだから、苦情は庫内、ではなく、来ない。今回は冗談ではなく、文字変換機能が勝手に「庫内」としてしまった。
別件だが、若手の浪曲師が曲師を連れて地域寄席へ行くのは、なかなか大変である。ボタンを押せば次の曲が始まるやうにすればよいのでは。先週末に、浪曲をインターネットで検索したときに、曲師不足になり使ひ始めたやうな内容を読んだ。一時は浪曲師が減る一方だったが、最近は増えるやうになり、曲師が足りなくなったさうだ。
浪花節語りの人が減り続け 今やや増えて禍ひはまだ消えずして 子や孫の世へ伝へるは吾等の務め
反歌
浪花節やや広がるはめでたくも音を扱ふ人が足らずに
いろは亭を運営するのは特定非営利活動法人いろは苦楽部で
これまでも北区上中里を中心に地域の活性化を目指して上中里寄席の運営を行ってまいりました。
この度、皆様の多大なるご支援を得て、東京都北区上中里3丁目に常設の地域寄席として「梶原いろは亭」を開設することとなりました。
とある。公民館などを借りて行ってきたが、五年前に常設の建物ができたのかな。法人の設立は2005年。定款の目的には
この法人は、広く一般市民、主に中高年齢者を対象として、IT技術を中心とした社会向上を推進すべく、訓練・学習・再教育の支援事業、雇用機会の拡充活動を行う活動の推進とともに地域の発展・交流の場の提供・福祉の増進に寄与することを目的とする。
とある。なるほどBタイプの友の会会員が、よく判る。小生はITの仕事を三十六年間やりながら、寄席は行くものの感覚を抜けられなかった。
いろは亭 上中里や梶原の地元のためと 昔から続く芸能地元へと そして通信電算と いや次々に務めは広がる
反歌
これからの寄席は通信電算を使ひこなして明るい世へと
反歌
梶原は堀船西尾久昭和町北区荒川区下町工場(ば)
感嘆詞の「いや」を歌に使ったのは、五年間で二回目だけである。それだけ力を入れた。下町工場は、下町と町工場。(終)
追記五月七日(火)
五年前の東京新聞ホームページに
「ミニ寄席」続々 ブーム追い風、地域に根付け
が載る。
今年一月にオープンした四十五席のいろは亭を運営するのは、NPO法人「いろは苦楽部(くらぶ)」。当初は地域の高齢者らがパソコン教室などを開いていた組織だが、「落語で地域を盛り上げられないか」との機運が高まり、寄席を始めた。運営メンバーは約二十人、金銭面などでもサポートする「いろは友の会」には個人と法人合わせて約百人が名を連ねる。地元の商店や職人らも協力している。
場所はマンションのオーナーの好意で借り受けた。毎週月-水曜の昼席(午前十一時半開演)は若手中心。毎週土曜などに午後一時半開演の「週末昼席」は真打ちクラスも出演。(中略)開設から約半年で落語や講談、色物など出演者は百人を超えた。(中略)運営メンバーは「地域の人と協力しながら続けていくことに意味がある」と口をそろえる。今月からは最終金曜夜に「講談夜会」(八月は三十日)も始まる。
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