二千二百八十六(うた)お花見日記(南浦和、飛鳥山とJR王子変電所)
甲辰(西洋未開人歴2024)年
四月一日(月)
二日前仕事の帰りに、南浦和駅から近い公園でビニールシートを敷きお花見をする二組があった。まだ桜は、まったく咲いてゐなかった。予定を組んだ為だらう。
花見にはまだ咲かずして例年と比べ遅いが 予定立て多人数にて行くときは 飲み食ひだけで既に楽しい

反歌  昔には花より団子今の世は花より料理そしてお酒か

本日は仕事が入らなかったので、飛鳥山に開花状況を見に行った。電車の窓から咲いた木が一本ある。これは桜ではないやうだ。園内は数組がビニールシートを広げてゐた。そのうち一組は近くに咲いた桜が一本あるが、桜のない方角を向いて飲食する。残りの三組くらいは、咲いてゐない場所だった。噴水側は咲いた木があった。
飛鳥山周辺で、興味深いものを幾つか発見した。王子駅側に廃寺がある。これは前から知ってゐるが、その向かひに仏像がある。かなりの摩耗だが。

 
廃寺を上から見た。塔が左右二つ見える                  廃寺向かひの仏像
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-----------------------ここから路面電車、客車、その周辺、二十四---------------------------
JR東日本の王子変電所で、珍しい表記を発見した。一番右の写真「客操」とは、尾久、品川、向日町、宮原などのことで、その後は新潟、仙台、青森、秋田のやうに運転所や運転区の構内になったため、客操の用語は使はなくなり、昭和四十年くらいから新幹線に倣って車両基地の語を使ひ始めた。其の前の用語が残るので貴重だ。
珍しい客操表記喜ぶもこれで花より鉄道となる

  
「貨」四つは貨物線(新宿湘南線)、「構」は田端操駅か 「北」四つは京浜東北線 「客」四つは東北線高崎線、「庫」は尾久客車区と田端機関区と田端貨車区か、「客操」は尾久駅構内
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帰宅途中に、先日の公園は桜がかなり咲いた。飛鳥山が遅いのは、公園が広く気温が街中より低いためだらう。
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-----------------------ここまで路面電車、客車、その周辺、二十四---------------------------

四月二日(火)
出勤の時は公園内を歩き、帰宅時は公園の外で南側道路を歩いた。公園内は、つぼみの段階だ。南の道路がかなり咲いたのは、昨日と同じだった。南は斜面で、陽が木全体に当たる。そんなところが影響したか。
駅までが最も近い道あるも 歩行者多く横からは車割り込み落ち着かず 朝は公園の中を歩く 帰りは日により公園の中か下道歩き家路へ

反歌  駅前の信号により真っすぐか左に曲がり中か下へと
反歌  公園の中はつぼみも下は咲く道と桜と二つ二分け
昨日書き忘れたが、飛鳥山横の七社神社にも寄った。末社や摂社が多い、立派な神社だ。枯れた古木の下だけ残ると説明板にあるが、どこだか分らなかった。途中に低層マンションがあるが、本日地図で調べると日本製紙の社宅と分かった。神社のホームページによると
七社神社は往昔の御創建ながら、寛政五年(一七九三)の火災により古文書、古記録等を焼失しましたが、翌年九月秋分の日に御社殿は再建され、(中略)当時は仏宝山無量寺の境内に祀られておりましたが、明治元年に神仏分離が行われ、翌二年(一八六九)に一本杉神明宮の現社地に遷座され、西ヶ原村の総鎮守として奉祀されるに至りました。

七つある社合はせた由緒ある社お寺を独立し 神明宮に遷座して昔ながらの総鎮守為る

反歌  近くには京浜東北走るとも静かな街に民家と社宅

四月四日(木)
朝出勤の時に公園の中を歩くと、南側斜面は七分咲き、園内は三分咲き、北側道路沿ひは五分咲きだった。勤務後は、本日勤務したマンションから五分程の道路でお花見をしたあと、外食をして帰宅した。この食堂は一回食べてみたいと思ってゐたが、下町の昭和そのものだ。周囲に中小工場が多いのも、昭和そのものだ。
電車に乗ったあと、公園を歩くのは二時少し前だった。園内は全て満開、ビニールシートを敷く組が、六つくらいあった。
園内に入ると遊ぶ幼児たち多いに初め 幼稚園遊びに来たかと思ふうち 花見母親遊ぶ子ら どの組にても分業となる

反歌  お花見と遊びが混ざり賑やかに再編成で親子楽しむ
帰宅後ニュースを読むと、東京地方は本日が満開と発表された。(終)

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