二千三百八 1.(うた)止観か、貪瞋痴を避ける決意か、2.(和語のみのうた)メモ書き歌
甲辰(西洋未開人歴2024)年
四月十八日(木)第一部
これまで何回か、止観をすると怒らなくなると書いて来た。(人により止観のうち止のみ、観のみの人も存在するが、これらを含めて止観とする)。しかしよく考へると、止観をするから怒らなくなるのではなく、貪瞋痴を避ける決意が怒らなくするのではないか。
そのやうな考へが出て来たので、そのことを考察することにした。まづ止観をするときに、目標を何にするのか。小生は心を安定させることを目標にする。ここで、悟りを得ることを目標にすると、それは欲だから悟りは得られなくなる。とは云へ、何も目標にしないと、それは怠惰に陥り、即ち貪瞋痴の痴になる。
今回の特集は、終着地を決めずに始めた。どう云ふ結論になるのか、まったく予想が付かない。
貪瞋痴避ける決意か 止観する どちらが怒りを避けるのか 予想立てずに思考始める

反歌  怒らないこれが人生成功の一の秘訣で二は非貪痴か

四月十九日(金)第二部
行き先が有るも乗り物無いときと 乗り物有るも行き先が無いは同じか異なるか 二つ有るのが常としてその時々で一つが欠ける

反歌  止める観るすることにより二つ無き時を避けるの逃げ道として
長歌の内容は、二つあるのが常で、ときどき一つ欠ける。反歌の内容は、二つ無いときを避ける為に止観をする。
行く先は三つ越えなのか仏へか ここで二つの分れ道 だが仏へと着いた後三つ越え止めて下へと堕ちる

反歌  行く先が正しく無しで乗り物は仏や悟る怪しき声が
反歌  三つ越えを続けることが悟りにて止めるともろく崩れ無くなる
これは良寛の、修行こそ悟りだと同じ。
あり得ない事が起きるはあり得ない 人々及び神々は三つ越えにより助け舟出す

反歌  物のみが虚(むな)し無しとの考へに底へと堕ちる星をも壊す
現世利益は無い。そこを起点に、固定思想(宗教)を考へよう。
(追記4.24)結婚せず修行する人には神々が応援するだらう。だからさう云ふ修行者を応援する在家にも神々は応援する。現世利益は無い、と言ひ切ると救ひを求める人を切り捨ててしまふので、追加した。

四月二十日(土)第一部
これまでの流れをまとめると、貪瞋痴を避ける或いは乗り越えるために止観をする。これが正解ではないだらうか。自身のやり方を考へると、心を落ち着かせるために止観をする。つまり三学だと定を目指すし、貪瞋痴のうちの瞋を避ける。しかし小生は、瞋を避けるためにするのではなく、心を安定させるためだ。
これを貪瞋痴を避けるまたは乗り越えるためと発展させればよい。これが結論になった。(終)

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