二千二百八十九(うた)飯田利行「定本良寛詩集譯」
甲辰(西洋未開人歴2024)年
四月三日(水)
飯田さんの「定本良寛詩集譯」は、過去にまえがきについて考察したに留めた。それは頁数が多く、持ち運びに不便だ。この本の特長は、法華讃が最初に載る。それが原因で頁数が多い。
法華讃で重要なのは、最初と最後だ。最初の詩は、語ってはいけないし、黙ってもいけない。すべきは合掌して「南無妙法華」と唱えることだと云ふ。禅修行と「南無妙法華」と唱えることの関係は、道元と法華経との関係に遡る。或いは、すべての経典が釈尊の直説と信じられた時代の話である。
法華讃の最後の詩は、解説の要部を紹介すると
いつもいつも熟読玩味すべきものである。(中略)うわのそらで読んではいけない。一句一句に深い意味が詠いこんであるからである。
一たび声をたてて(念経のごとく)読み、それで法華経の真意にぴたりとすれば、そのまま仏の境界に到達しえたことになろう。

「一句一句に深い意味が詠いこんである」「そのまま仏の境界に到達しえた」は、大した確信である。万の云ふやうに、1日中ぼうっとしてゐたら、こんな確信を持てる筈が無い。
さて、良寛さんが渡航したのなら、道元と同じ経験で法華経賞讃となる。中国の天台宗は密教を交へず、禅宗と並立するのではないか。
海を越え良寛さんが清国へ 幾つかの詩が暗示する 法華讃にもまた暗示あり

反歌  定本は本師を破了師玄海を大海原と古い解釈
反歌  国禁で本師玄海表裏二つの意味で皆が平穏
小生が渡航説に肩入れする理由は、反対者は声が大きいのに主張が貧弱だ。例へば「玄海は広い海の事だが飯田利行は漢文の知識が無い」と書籍で批判した人がゐた。利行さんは漢文が専門の教授だから、そのやうなことは百も承知だ。事実古い本では大海原と訳した。
そもそも越後から玉島までに、広い海は無い。

四月三日(水)その二
釈帝観世音
清衆裁十指

で始まる漢詩について、飯田さんの解説は
釈帝観世音は、僅かに十人たらずの雲水だけであった。
(中略)
このように仏道に親しむ人たちばかりが結集しての修行生活に出会う機会は、二度とありますまいと皆がいう。

「皆」の中に良寛もゐると思ふ。寺は河北省趙州に在った。もし良寛さんがゐないなら、どうやってこの詩を作ったか。良寛渡航説は、ますます正しい。
良寛さん漢詩を読めば読むほどに清国渡航濃厚になる


少小学文懶為儒
少年参禅不伝灯

で始まる漢詩で、「参禅」は明治以降に現れた信徒の参禅ではない。沙弥になったのだらう。(終)

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