二千二百九十二(うた)1.四度目の飯田利行「良寛詩集譯」、2.漸悟と頓悟と三学悟
甲辰(西洋未開人歴2024)年
四月六日(土)
飯田利行「良寛詩集譯」を扱ふのは四度目だ。三の一「行雲流水」章冒頭の漢詩は
歩随流水覓渓源
行到源頭卻惘然
始悟真源行不到
倚筇随処弄潺湲
だが「定本 良寛詩集譯」には無い。この詩は良い内容で、解説の後半を紹介すると
真の源(さとり)というものは
修行の結果たどり着きうるものではなく
修行自体に 真源が現成しているものだ
すなわち 杖をつき 流れを遡(さかのぼ)りながら
渓声に耳を洗いつつ
一歩一歩辿(たど)るその姿が証(さと)りに外ならぬという
つまり流れの途次にこそ 源流があるのじゃ。
これこそ小生自身も、常日頃思ふことだ。「定本 良寛詩集譯」に無いのは、曹洞宗の教義と異なるからかも知れない。漸悟と頓悟と云ふ用語がある。段階を追って悟るのが漸悟、突然悟るのが頓悟。達磨から数へて六代目のときに、漸悟の神秀が北宗、頓悟の慧能が南宗に分裂した。
小生は、漸悟と頓悟がどちらも誤りで、止観をする姿勢に悟りがあるとする立場で、良寛さんと同じだ。飯田さんも昭和四十四(1969)年にはあるのに、平成元(1989)年では無くなった。
悟るとは目指す事には非ずして 悟るためには三学を その行ひに悟るが宿る
反歌
曹洞宗臨済宗は頓悟にて寒山良寛三学目指す
飯田利行「良寛詩集譯」は佳い本だが、解説が曹洞宗に傾き過ぎることをこれまでに指摘した。もう一つあり、良寛を飯田さんの考へる性格に傾き過ぎる。「春帰未得帰」で始まる詩の「郷里何時帰」の書き下し文は「郷里に何時か帰らん」、解説は「故郷へ何時帰れることかしら」。漢詩の美しさは端正にあるから、良寛さんは偉ぶらずさう云ふとしても、この解説は端正さを欠く。「定本 良寛詩集譯」では「いつになったら郷里に帰れるかわからない」と無色にした。無色なら、読む人が着色できる。
「夫人の世在」で始まる詩は妹みかの夫、真宗の天花上人のことで「碩学」と解説にある。良寛は、儒教や仏法で碩学な人と交流があった。互ひに話の合ふ人は分かるものだ。良寛は、天才、愚人と、評価が分かれるが、どちらが正しいかは交流関係で分かる。勿論漢詩でも分るのだが。
三の二「花紅柳緑」の章に入り「因指見其月」で始まる詩の「無月復無月」を
月も 指もない無差別平等の境に
安住できることになるのじゃが
はうまい訳だと思ふ。特に「安住できる」に。「じゃが」は良寛さんの性格に特化し過ぎじゃが。小生まで使ったのは、もちろん冗談である。
「大道元来没程途」で始まる詩の「栽掛唇歯為支離 わづかに唇歯に掛くれば 支離となる」の解説
これをふと言葉に出して説こうものなら
瞬時に失せて元も子もなくなってしまう。
も、漢詩が専門で曹洞宗に詳しくないと訳せない。小生は絶対に無理である。
四の二「一鉢隨縁」章の「幽棲地従占」で始まる詩の
帰来殊疎慵 帰来 殊に疎慵
坐臥任屈伸 坐臥屈伸に任す
解説は
長(なが)の雲水からもどって以来
ことのほかものぐさとなり
起居動作も 気まゝ放題に
振舞うようになったもんだ。
「ものぐさ」は点々が付く。越後へ戻った時は立派な雲水だった。しかし、五合庵や社務所に住むうちに、ものぐさになったのではないかと、小生も考へてきた。一方で、その良寛さんを村人は慕ったのだから、それでも十分に質素な暮らしだった。だから越後に戻る前を想像するには、戻った直後を見ればいいと、主張して来た。さうすれば混同万嘘がどれだけ出鱈目かすぐ分かる。
「兄弟相逢処」で始まる詩を読み思ふことは、良寛さんの父が以南ではないから、兄弟仲が良かったのではないか。良寛さんの父が以南なら、苦労を自分に押し付けて逃げた、と兄を恨むだらう。
四月七日(日)
少小学文懶為儒
少年参禅不伝灯
で始まる漢詩で、「参禅」は正式に得度したが、法を伝へることは熱心では無かった(修行に熱中したため)、の意味だらう。だから、明治以降に現れた信徒の参禅ではない。定本良寛詩集譯では「沙弥になったのだらう」とした。この相違は、飯田さんの解説が二つの本で異なることに由る。
「良寛詩集譯」では
幼少にして漢文を学んだが
儒者になるのは嫌いだった。
大きくなるにつれて参禅に
身を入れたが法を伝えんと
殊勝な熱意は持たなかった。
「定本良寛詩集譯」では
私は、幼少より漢文を学んだが、儒者になるのは嫌いだった。少年の日に参禅に身を入れたが、法灯を伝えようなどという殊勝な考えは持たなかった。
「大きくなるにつれ」と「少年の日に」の違ひが、読む人の結論をこれほど変はらせてしまふ。漢文は、解説を読んだあとに、書き下し文も読むことが必須だ。今回は、その次の行が
今結草庵為宮守 今 草庵を結んで 宮守となる
なので、少年から高齢の社務所までだと離れ過ぎる。参禅は、円通寺時代と見るべきだ。
次に「簡傲縦酒消歳時」で始まる詩の「衆人闚間不相知 衆人 間(すき)を闚(うかが)ふも 相知らず」を、一行目から
驕りたかぶり酒色に浸(ひた)って月日を過ごす間
多くの人たちがこのわしを陥し入れようと
これだと良寛さんの事だと思ってしまふ。この三行後に
夜もすがら そのようなあなたを思うては
があるので、知人のことだと何となく分るが。
「定本良寛詩集譯」では
酒ずきの友が、おごりたかぶり大酒を飲んで年月を過ごす間、多くの人たちが、この飲んだくれを陥れようと(以下略)
これだと間違へない。完成度は「定本良寛詩集譯」が遥かに高い。
定本は その名のとほり完成度極めて高く 利行師の加齢とともに進化を遂げる
反歌
行ふの姿の中に悟りありこれを省くが唯一欠点(終)
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