千九百六十五(うた) 飯田さんの法華讃訳注は、内山谷川松本さんの「定本 良寛全集」よりはるかに優れる
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
三月十三日(月)
良寛の法華讃を特集したあとで法華転もまた読まうと思ひ、借りた書籍は内山谷川松本さんの「定本 良寛全集」だった。この本には法華転のほかに、法華讃とその訳注も載るのでこちらも読んだところ、中身がない。
飯田さんの訳注が極めて優れたものだと、改めて思った。欠点もあって、一般の漢詩は曹洞宗の立場に適合し過ぎるし、法華讃は法華経賞讃に適合し過ぎる。飯田さんは、道元が法華経を称賛した古事を以ってこれを解決したが、法華経賞讃に適合し過ぎるところは、飯田さんの良心を感じた。曹洞宗僧侶の立場だと、法華経賞讃に適合し過ぎて得をすることは、何もないためだ。
法華讃なぜ良寛が作ったか 僧を声聞縁覚と見做し彼らを一乗に誘導のため 信徒にも仏縁付けるためなのか 渡航で天台優勢と兼学を知り 徳川の本山末寺で一宗の立場を超えた仏道のため

(反歌) 本末で統制をする仏道は我が国のみを知り兼学か

三月十四日(火)
内山谷川松本さんの中味が無いを詳しく述べると、読んで得るものがない。これには、意味を為さない場合と、法華経に引き摺られた場合がある。例へば序品の
そもそも仏法上の経験とはふつうの経験と同じではない。/仏法は達磨が中国に来なくてもすでに中国に来ており、二祖慧可がインドに経を取りに行かなくてもそれ以前にあちらに行っている人がいた。/さらにきまった名前をつけようにも方法がない。/だからこれを無量義と謂ふ。

解説に、無量義は無限の偉大な教え、とある。だが、赤字の部分が意味を為さない。漢文の専門家で、曹洞宗教学も専門の、飯田さんとは雲泥の差がある。
転讃の法華を含む全ての詩 曹洞僧が世のためと仏道のため作りたは 禅と教学漢文の知識が無いと理解できない

(反歌) 良寛の思想は漢詩心根は歌に残りて今に伝はる(終)

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