二千三百五十八(朗詠のうた)中旅行開発過程
甲辰(西洋未開人歴2024)年
六月六日(木)
中旅行は、東海道新幹線で熱海か三島まで行くのが、一般的になった。ここに至るまで、試案が幾つもあった。
一、まづジパング倶楽部は往復で200Km以上なので、熱海以遠になった。小田原は駄目だが、他へ行ったあと途中下車で寄ることは可能だ。だから、熱海や三島へ行ったあと途中下車して何回か寄った。
伊豆駿河相模への旅近くとも速き乗り物富士の嶺と海

二、在来線はJR東日本の管内が、首都圏内で途中下車できない。最初は、熱海から先へ行けばJR東海なので途中下車できる。その目的で三島以遠を計画した。しかしそれより、新幹線を使ふと在来線で途中下車できる。新幹線内でも途中下車できるが、特急券が高くなるので、特定特急券(隣の新幹線駅まで。後からできた駅の場合は、その一つ先まで)しか使はない。その点、在来線は途中下車をしても、値段が変はらないので便利だ。
三、行き先がだんだん少なくなって、御殿場へ行かうと計画した事があった。しかし御殿場は、小田急を使ったほうが安い。そのため計画は取りやめになった。
四、東海道新幹線は「のぞみ」に乗車できない。だから名古屋から先は、今まで行ったことが無かった。玉島の円通寺へ行くので、初めて名古屋から先へ行った。
そればかりではない。新大阪から先は、新幹線に乗ったことが無かった。しかし高校の時に倉敷へ修学旅行で行ったので、或いは山陽新幹線に乗ったかも知れないが、まったく記憶に無い。
-----------------------ここから路面電車、客車、その周辺、二十五---------------------------
今回の玉島(新倉敷)行きで、往路はキティ号に関心が行った為、気が付かなかったが、帰りは新大阪の手前で、高架から下に青色の12系客車らしいものが見えた。あそこはどこだらうと自問し、暫くして宮原操車場だと気付いた。それほど始めて見る光景だった。
兼、(路面電車、客車、その周辺、二十四)へ 兼、(路面電車、客車、その周辺、二十六)へ
-----------------------ここまで路面電車、客車、その周辺、二十五---------------------------
五、名古屋から手前は「のぞみ号」問題とは無縁なので、最初に乗った。二回目は静岡まで乗った。三回目から、三島か熱海になった。豊橋は前に行ったことがあり、新たに見るものは無くなった。浜松と静岡は開けすぎるので、何回も行きたくはない。
六、新富士へ一回行きさうになった。田子の浦港を見に行くためである。ところが萬葉集で詠はれた田子の浦と、今の田子の浦は場所が異なると知った。それで中止になった。

今、三島や熱海まで乗車するのは、そんな経緯があってのことである。値段が安いし、所要時間が手頃だし、それでゐて新幹線を使った豪華旅行を味はえる。実に楽しい旅であった。とはいへ、段々と行く場所が無くなってきた。同じ場所へは行かない。これが退屈しない方法だ。だから途中下車を活用し、帰りに新横浜、菊名、鶴見などに寄ることもあった。
LRT開業で、宇都宮へも二回(それ以外に、大人の休日倶楽部パスで一回)あった。宇都宮は往復で200Kmに足りない。だから一回目は鹿沼、二回目は氏家まで行った。高崎も200Kmに欠けるが、その先に行くところが無い為、行ったことがない。
大人の休日倶楽部パスは、四日間から五日間に延びて、しかも指定席の回数は同じなので、使ひ勝ってが悪くなった。今後使ふことはほとんど無くなった。
次からの旅はどこまで行くべきか頭決まらず心は弾む
(終)

メニューへ戻る うた(八百九十八の一)へ うた(八百九十九)へ